検証「奴隷貿易ユダヤ支配」説

佐藤 唯行獨協大学教授 佐藤 唯行

英蘭などが中心的役割
他にも咎められるべき集団

 アメリカでは環大西洋奴隷貿易におけるユダヤ人の責任を追及する告発が、黒人イスラム教団の歴史研究部を中心とする黒人民族主義系の学者たちにより長年続けられている。その告発内容は「ユダヤ人は他のエスニック集団を凌駕(りょうが)する割合で黒人奴隷を西半球へ連行するビジネスに力を貸した。ユダヤ人こそアフリカ大陸から人的資源を収奪した黒幕なのだ。ユダヤ人の富は黒人に対する暴力的征服を通じて蓄積された」という耳を疑う内容だった。

 この告発に対して、ユダヤ人学者側は奴隷貿易に全く関心を示さなかった欧州で唯一の国が、欧州最多のユダヤ人口を擁するポーランドであったことを指摘する等、反駁(はんばく)に努めてきた。次にそれらの成果を踏まえながら実像を検証してみよう。

 16世紀初頭から始まる環大西洋奴隷貿易とは、銃、酒など欧州製品を代価に西アフリカで黒人奴隷を買い付け、それを南北アメリカ、西インド諸島へ運び、売却し、利益を稼ぐ商売だった。

 当初、ポルトガル人が独占したが、ユダヤ系の参加度は低かった。なぜならポルトガルではユダヤ人は法的に追放状態に置かれており、素性を隠して残留した「隠れユダヤ教徒」への追及も厳しかったからである。その後、17世紀に約30年間、首位ポルトガルの座を抜き去ったのがオランダであった。オランダは後述する英国同様、ユダヤ人に宗教・経済活動の自由を認めた国であった。しかしオランダ奴隷貿易の最盛期においてさえ、ユダヤ人は極めて限定的な役割しか果たしていないのだ。

 奴隷貿易の中心を担ったオランダ西インド会社に対するユダヤ人の出資比率は全体の0・5%にすぎなかった。また蘭領西インド植民地における奴隷制プランテーション経営の中心、キュラソーにおいてもユダヤ人は白人人口の半分を占めながら、その中心ビジネスは奴隷以外の商品を近隣のスペイン領植民地へ輸出する商売であった。

 短命に終わったオランダに代わり、18世紀に中心勢力となるのは英国だった。環大西洋奴隷貿易によりアフリカから運び去られた黒人奴隷の総数はおよそ1100万人。半分強の600万人は18世紀に連行されたが、その42%を運んだのが英国船だった。しかし英国ユダヤ人の関与は最小限だった。三大貿易港ロンドン、リバプール、ブリストルを本拠とする奴隷船団の主な所有者の中に含まれてはおらず、船団に出資した主要投資家の中にもユダヤ人は存在しなかった。

 奴隷制の最先進地帯、英領西インド諸島に移住したユダヤ人たちも大半が都市部に住み、金融、小売りを生業(なりわい)としたので、わずかな家内奴隷を所有したにすぎなかった。多数の農場奴隷を所有し、酷使する大規模プランテーションの経営で名を馳(は)せたユダヤ人はほとんどいなかった。

 英蘭のユダヤ人が奴隷貿易にほとんど関与しなかった理由は不明だ。彼らの商業キャリア、環大西洋に張り巡らされた同族ネットワーク、外国語能力。これらは他の商人に対する競争優位性を彼らに与えるものであった。さらにユダヤ教律法は奴隷制を容認しており、奴隷貿易への関与を抑止する教えとはならなかったのだ。以上を勘案すれば、17~18世紀、環大西洋世界で展開された最大の営利活動である奴隷貿易に、もっと大きな割合で参加していたとしても不思議ではないのだ。けれど現在確認されている史料は、この疑問に答えてはくれない。ユダヤ人が奴隷貿易から距離を置いた理由の解明は新たな史料の発掘を待たねばならないだろう。

 以上の検証により、集団としてのユダヤ人は奴隷貿易の「罪」故にプロテスタント、カトリック、イスラム教徒以上にその責めを負わされるべき存在ではないという事実が明らかになったと言えよう。また末尾を借りて黒人民族主義者の妄言にも反論しておこう。

 黒人民族主義者たちの妄言とは、特定のエスニック集団が過去において犯した「罪」故に当該集団は子々孫々に至るまで償いをせねばならぬという主張だ。その昔、当たり前だった過去の人々の行為を今日的価値基準に基づいて一方的に断罪を行うことほど、愚かで危険な考え方はないのだ。

 百歩譲って黒人民族主義者の妄言に従えば、欲しくてたまらぬ銃や酒を手に入れるため、他の黒人部族を捕らえ、欧州商人に売り渡してきたアフリカ黒人の子孫ほど咎(とが)められるべき集団は他に存在しないのだ。事実、西アフリカ沿岸に来航した欧州商人は、奴隷狩りを現地の黒人部族に丸投げしてきたのだ。

 また黒人奴隷に対する労働搾取という点でも、同じ黒人たちの罪は免れ得ない。例えばハイチ革命前の1789年、仏領サンドマングには法的に奴隷身分から解放された自由黒人が所有する黒人奴隷の総数は1万人を超えていた。仏領西インド諸島において自由黒人による奴隷所有はユダヤ人のそれをはるかに上回る規模だったのだ。また米国本土でも100人もの奴隷を所有する黒人の大プランターの存在が確認できる。富と権力の誘惑は肌の色を超越していたのである。

(さとう・ただゆき)