ふたつの「ジェノサイド」 米は「ウイグル」に集中を


文明論考家、元駐バチカン大使 上野 景文

「第三世界」取り込む度量期待

文明論考家、元駐バチカン大使 上野 景文

文明論考家、元駐バチカン大使 上野 景文

  さる4月24日は、オスマン帝国によるアルメニア人大量虐殺から106年目の記念日であった。同日、バイデン米大統領は、あのような「ジェノサイド(集団虐殺)」が繰り返されることがあってはならない旨のステートメントを発した。

 米国の歴代大統領は、トルコへの配慮もあり、アルメニア人殺戮(さつりく)を「ジェノサイド」と言及することを控えて来たが、今回バイデン大統領は、選挙公約実現の意味も込め、一線を越えた。トルコ政府がいち早くこれを拒否したことは言うまでもない。

 が、大統領の選択には3点問題があると見る。

問題相対化させる恐れ

 第1は、過去をほじくり返したことの妥当性。1~2世紀前の事案につき国際的非難合戦が展開されることになったとしよう。困るのは米国だろう。米国は、1~2世紀前、先住民を民族的、文化的に「抹殺」した「負の歴史」を有しているからだ。現代風に言えば、「文化的ジェノサイド」ということになる。クリントン元大統領が謝罪したとはいえ、脛(すね)に傷のある米国は、トルコなどの「ジェノサイド」をほじくり返すことは控えた方がよい。

 それに、国際社会が、「最大級の人権侵犯」として、ウイグルにおける「民族的・文化的ジェノサイド」問題に注力している真っ最中に、「ジェノサイド」として、別の事案、それも過去の事案を持ち出すことは、ウイグル問題から世界のアテンションをそらし、同問題を相対化させる恐れがある。トルコを中国寄りにしかねないし、国際社会の集中力をそぐこと必至だ。バイデン発言を耳にして、中国はにんまりしたに違いない。米国には現代の「ジェノサイド」、ウイグル問題に集中してもらいたい。

 さらに、ウイグル問題への批判は、これまでのところ、西側諸国に限られており、「グローバル化」が不十分だ。中国が強気かつ開き直っていることの一端は、この点にある。重要なことは、「第三世界」を巻き込み、もって、問題の「グローバル化」を図ることだ。ウイグルではイスラムという宗教そのものが弾圧されているのだから、イスラムの国々を巻き込むことは特に重要だ。

 そうすることは、現在試みられている西側による対中制裁などより、よほど意味がある。制裁なるものは「正義感」を充足してくれるものの、相手への効果は薄い。特に、西側だけが行う制裁では中国は動かない。現在の制裁中心主義には限界がある。

 とはいえ、甘い見通しは禁物だ。「第三世界」の国々が、米中対立の狭間(はざま)にあって、米国側に与(くみ)することは期待し難いからだ。が、ウイグル問題は、一介の人権事案ではない。文化・宗教・民族の「抹殺」を座視してよいのかという全人類的問題であり、「米中政治的対立」の文脈を遥(はる)かに超える。という点につき「第三世界」の理解を求めるべきであり、「第三世界」の中にあってウイグルの現状に批判的な有力国に、米国に代わって音頭を取ってもらうのがよい。右観点からは、ウイグル人の遠縁にあたり、イスラム国でもあるトルコが果たし得る役割は大きい。今トルコを離反させることは愚策だ。

 トルコをはじめとするイスラム諸国がウイグル問題への懸念を唱和することになれば、政治的効果は大きい。これまでのところ、中国の巧みな経済外交が奏功し、イスラム諸国の多くは対中批判を控えているが、ウイグルでの迫害の実情が一層明らかになれば、かれらは厳しい対応に転じざるを得まい。

 バイデン氏には、ウイグル人の救済を目指し、制裁を超える大戦略を打ち立ててもらいたい。ここは、トルコなどの有志を軸に、「第三世界」、イスラム圏が一丸となることだ。かれらの多くは、人権問題で脛に傷があるが、米国には、小異に目をつぶる度量を期待したい。

国際標準は大きく変化

 なお、中国が「近代化」という大義を掲げてウイグルで推進中の「文化抹殺策」は、かつて米国が「文明化」を口実に先住民に対し遂行した「文化抹殺策」と変わらないのに、自分たちだけが批判されるのは何故(なぜ)かとの不満が(中国には)あるようだが、この1~2世紀、国際標準は大きく進化した。中国には18~19世紀的思考から脱却してもらうほかない。

 以上、複雑な国際社会の現実に照らし、見立てが「甘い」とのご批判があることは承知するも、米国には、西側だけでなく、「第三世界」をも取り込む度量と手腕を期待したい。

(うえの・かげふみ)