東日本大震災・トモダチ作戦から10年

エルドリッヂ研究所代表、政治学博士 ロバート・D・エルドリッヂ

「想定外」は無責任の極み
あらゆるシナリオ考え備えを

ロバート・D・エルドリッヂ

エルドリッヂ研究所代表、政治学博士
ロバート・D・エルドリッヂ

 東日本大震災は昨日の出来事のようだ。10年前の当時、筆者は、米軍の救援活動である「トモダチ作戦」に携わり、大変光栄に思っている。その後、今日に至るまで被災地と深い絆を持ち続けており、先日は15回目の訪問を終えたところだ。

 東北への出張や旅は、復興過程への貢献とその悲劇の教訓を風化させないようにするためである。今後、被害者にならないことだけでなく、近くあるいは遠くにいて困っている人を、より有効に助けるために、震災への備えや対応を学ぶことがとても大切である。

 しかし、時間が経(た)ち、被災地の復興が進めば進むほど緊張感が薄くなり、必要なことを忘れてしまう。これは一般国民のみならず、政治家や行政にも同じことが言える。

懸念される四つの災難

 筆者のように、阪神淡路大震災を経験したり、対応に密接に関与したりしている人々の最大の懸念は、リーダーや一般市民はその教訓を忘れ、同じ過ちを繰り返す運命にあるのではないかということだ。

 しばしば「将軍は最後の戦いを戦う」と言われている。救援者も同じことが言えるだろう。しかし、災害ごとに新たな課題が生じる。

 現在、災害そのものである新型コロナウイルスのパンデミック(世界的流行)の中、震災ボランティアをそもそも集めにくい。昨年夏の熊本県での洪水の後のように、地方自治体や県庁が県外のボランティアに対する制限を加えることもあり得る。

 さらに、新型コロナウイルス感染の環境下では、ソーシャルディスタンスや衛生上の要件が伴い、避難所の運営をより困難にしている。定員を超えた場合の対処として、より多くの施設が必要となっている。また、従来の災害用品に加え、マスク、フェイスシールド、手袋、ガウンなどの供給品が必要となるため、取得と配送を計算に含める必要がある。

 筆者が最も懸念するのは、巨大な津波を引き起こす南海トラフ地震による四つのパンチ(災難)だ。一つ目は、14万人の死者を出した1923年の関東大震災のような火事だ。二つ目は、多くの死者をもたらした95年の阪神淡路大震災のように、民家やビル崩壊による圧死。三つ目は、2万人近くの犠牲者が出た2011年の東日本大震災並みの津波。さらに、季節によるが、1959年の伊勢湾台風並みの台風が重なると、救援活動が延期せざるを得なくなる。

 また、夏場であれば、タイムリーに遺体を処理することが特に困難になる。想定されているおよそ32万人の犠牲者の遺体を処理するのに十分な安置所、冷蔵車、火葬場がない。

 過去の対応事例に基づく硬直的な考えに固執すべきではなく、将来の全てのあらゆるシナリオを予測するのに十分な先見性を持たなければならない。2011年3月の震災の後、よく聞こえてくる「想定外」という言葉には飽き飽きしている。「想定外」という決まり文句は言い訳にしか聞こえず、無責任の極みだ。

「関連死」を防ぐケアも

 災害時の死は悲しいが、家族、家や財産、生計などを失う絶望の中で、その後、身体的または精神的な病気を患った結果、非常に多くの人々が死亡するという事実も耐え難い。16年4月の熊本地震以降、「関連死」と呼ばれるもので、地震そのものよりも多くの人が亡くなったのは周知の通りだ。あまり知られていないが、東日本大震災で最も被害のあった石巻市の死亡・行方不明者の3700人を上回るのが、その後亡くなった関連死者(約3800人)だ。

 戦争に勝って平和で負けるという失望と同じように、かつて災害で救われた人が希望や健康を失って、病死や自殺によって命を失うことは二重に悲しいことだ。災害後のケアと回復、そして震災前の減災と回復力は相互に大きく関連している。

 復興を目指しながら、一方で震災の記憶を風化させないことのバランスは微妙なものだ。