無味乾燥な歴史観からの転換
名寄市立大学教授 加藤 隆
大切な人間へのまなざし
血の通った物語として自覚を
ロナルド・レーガンは大統領就任演説で次のような言葉を残している。「私の正面には記念碑的人物、即(すなわ)ち建国の父ジョージ・ワシントンの記念塔がある。仕方なしに高位に就いた、謙虚な人物である。彼は米国を、革命の勝利から初期国家へと導いた。
向こうには、トーマス・ジェファーソンの記念館がある。彼の雄弁によって、独立宣言は輝きを増した。アーリントン国立墓地のなだらかな丘には、十字架やダビデの星が刻まれた簡素な白い墓標が並ぶ。これらは、我が国の自由のために払われた代償の、ほんの一部にすぎない」。1981年1月20日のことである。
出来事の羅列にあらず
国柄や文化も違い、単に文言の比較をして云々(うんぬん)できないかもしれないが、日本の政治家や社会の中核を担っている人物が何か重要なメッセージを語るときに、祖国の歴史をひもとき、永遠の眠りについている人々に心しながら語るのを聞いたことはない。
たとえば、我が国の高等教育の方向性について、著名な審議会はこう述べている。「テクノロジーの急速かつ継続的な進化、グローバリゼーションの一層の進展の中で、社会は個人間の相互依存を深めつつより複雑化・個別化している。学生自身が目標を明確に意識しつつ主体的に学修に取り組むこと、その成果を自ら適切に評価し、さらに必要な学びに踏み出していく自律的な学修者となることが求められる」。
ここには、新しい電子機器のマニュアルを読むような響きはあっても、レーガンが触れたような墓地に佇(たたず)む墓標の主(あるじ)、つまり、名前を持ち血肉を持ち歴史を生きている人間へのまなざしは乏しい。
さて、我々の国は明治政府以来150年間、一貫した強いスローガンを掲げてきた。「欧米に追い付け、追い越せ」である。眼界には欧米との比較優劣で国柄を規定する方程式が常に横たわっていた。誰彼と比べ、何処何処(どこどこ)と比べて上か下かの相対評価である。
今日もグローバル人材などを標榜(ひょうぼう)しているところをみると、その発想は変わっていない。もちろん、このスローガンのもとに国民が一致団結して今日の国家的地位を築いてきたことには敬意と感謝は必要だが、何か片肺飛行のようなバランスの悪さも感じるのだ。
ちょうど150年ほど前に生まれた内村鑑三は「日本が滅ぶとしたら、科学、芸術、富、愛国心の欠如からではなく、人間の真の価値についての認識、崇高な法の精神の感覚、人生の基本的原則に関する信念の欠如からである」と預言者のように語っている。歴史とは知的な出来事の羅列ではないのであり、そこを通じて明らかになる「人間の真の価値」「崇高な法の精神」「人生の基本的原則」への覚醒、いわば歴史の豊饒(ほうじょう)さに触れることではないだろうか。
卑近な例であるが、過去と未来について思いを致すことがある。まず、過去である。自分の両親は2人であり、その両親の父母は合わせて4人となる。こうして遡(さかのぼ)っていくと、10代前の先祖は約1000人、20代前だと約100万人、30代前だと約10億人となる。30代前というと1000年ほど前のことである。私という存在が現れるには、計り知れないほどの膨大な親が必要だったのであり、その一人が欠けたとしても私は存在しなかったという事実の厳粛さを思う。
また、未来についても想像する。私の存在もそうであるし、これから生まれ出る子孫もそうであるが、人間としての80年か長くて100年ほどの生を生きて死を迎える。人生を彩るあれこれの社会的活動、人生の醍醐味(だいごみ)を味わったとしても、最後は「死のゴール」となる。そう考えると、最大の不可思議さは死ではないだろうか。であるから、仏教もキリスト教も「死の問題」に深く対峙(たいじ)している。
死はすべてを無化する空虚なものなのか、新たないのちの契機なのか、魂の完成の最終舞台なのだろうか。歴史は多くの人間を登場させることで、生と死の真実と不可思議さを我々に問うている気がするのだ。
代表的日本人の共通点
かつて、内村は『代表的日本人』の中で西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮の5人を取り上げたが、共通するのは「天へのまなざし」である。いわば、北極星のような揺るぎない視座である。西郷は陽明学的な「敬天愛人」、日蓮は法華経の「依法不依人」、上杉は「天意」を体現して生きた。History(歴史)が、Story(物語)として自覚されたとき、無味乾燥の歴史観と世界観は血の通った生き生きした物語に転換するのではないだろうか。
(かとう・たかし)