「死」の意味を考える

哲学者 小林 道憲

生と死は表と裏の関係
終わりではなく一つの過程

小林 道憲

哲学者 小林 道憲

 18世紀末のパリの墓地整理のため姿を消したサン・イノサン墓地は、教会広場と納骨堂からなる墓地で、パリの住人たちが幾世紀にもわたって埋葬された聖地であった。誰もがここで永遠の眠りに就きたいと願っていたから、遺体を新しく埋葬する空間を作るために、以前に埋葬した死者の骨を地中から取り出して、それを回廊のアーチの上に積み重ねた。

 その納骨棚の下には、骸骨が踊りながら皆を引き立てていく有名な「死の舞踏」の絵が描かれていた。「死の舞踏」の絵は、このサン・イノサン墓地が発祥の地になって、14世紀末から15世紀、ヨーロッパ中に広がった。そこには、教皇、司教、皇帝、貴族、騎士、代官、修道士、教師、商人、農夫、医者など、あらゆる身分の人々を、その分身である骸骨が踊りながら死の世界に誘っていく様子が描かれている。

死と隣り合わせの中世

 14世紀半ば以降のヨーロッパでは、恐ろしいペストが何度も流行し、何百万もの人の命を奪い去っていった。次々と人々が死んでいった時代、それが中世末期という時代であった。それは、生の儚(はかな)さ、明日の不確かさ、この世の富や地位や美の空しさを告げて余りあった。

 死はいつ襲いかかるか分からない。「メメント・モリ」(死を想え)という警鐘が響き渡っていた時代だったのである。実際、人々は死と隣り合わせで生きており、子供でさえ身近に人間の死を見ていた。人々は常に死を見つめ、むしろ死に親しかった。

 確かに、現代も死を忘れたわけではない。現代人も、相次ぐ事故や災害、病気などで、死に触れる機会が多い。特に、今日のような感染症の世界的蔓延(まんえん)によって次々と大量の人々が死んでいく状況を考えると、死について考えないわけにはいかない。

 現に、武漢、北部イタリア、スペイン、そしてアメリカ・ニューヨーク州などでは医療崩壊が起き、死体が放置され、棺(ひつぎ)に入れる暇もなく積み重ねられ、冷凍庫などに積み込まれている。わが国でも、集中治療室で人工呼吸器やいろいろなチューブをつけられ、家族から遠ざけられて、最後には、遺体袋に包まれ死にゆかねばならないような状態が見られる。このような状態に、果たして人間としての尊厳があるのかどうか。死の意味が問われる。

 死は経験できない。特に自己自身の死は経験することができない。自己の死は、人生で一回きりだからである。しかし、病や老いから、死を想像することはできる。また、多くの他者の死を経験し、自分の死の確実性や不可避性について自覚することはできる。人間は〈死すべきもの〉として生まれる。死は確実に訪れ、すべてを無にする。

 人は生まれ、生きて、そして死ぬ。死はいつ来るか知れない。背後の磯に潮が満ちてくるように、死は後ろから迫ってくる。人生は急ぎ過ぎゆき、そして終わる。人の行き着くところは死である。この身は、一夜を明かす旅寝の床のように、仮初(かりそ)めのもの、陽炎(かげろう)や夢のようなものといわれてきて久しい。

 死を前にしては、この世で得られた権力や名誉も、水の上に書かれた文字のように空しい。人間存在は、死を前にして無力である。死は生を無意味化する。避けられぬ死のことを考えると、人生の意味が問われてくる。

「メメント・モリ」の教え

 人はどこから来てどこへ去るのか。人生が短く、ほんのひとときだとすれば、われわれの世界は、ほとんど死者の国に囲まれている。生の底には死がある。生は、死の海にしばし現れた渦のようなものである。死は生から生じ、生は死から生じる。死がなければ、生はない。生死は裏腹、表裏である。死は終わりではなく、一つの過程なのかもしれない。

 「メメント・モリ」という中世以来の教えは、また、深い意味を持っていたのだと言わねばならない。

(こばやし・みちのり)