阪神・淡路大震災の教訓活かそう

拓殖大学防災教育研究センター長・特任教授 濱口 和久

「火災旋風」が被害を拡大
自助を実践し「通電火災」防げ

濱口 和久

拓殖大学防災教育研究センター長・特任教授
濱口 和久

 現代の日本人が「大震災」と聞いて思い出すのは、兵庫県南部地震によって引き起こされた「阪神・淡路大震災」と東北地方太平洋沖地震によって引き起こされた「東日本大震災」だろう。今年の1月17日で阪神・淡路大震災から25年が過ぎた。東日本大震災からも今年の3月11日で9年が経(た)つが、本稿では、阪神・淡路大震災が残した教訓について述べる。

初めて最大震度7記録

 人々がまだ寝静まっていた早朝(午前5時46分52秒)、兵庫県淡路島北部を震源とする巨大地震が兵庫県神戸市を襲った。観測されたマグニチュードは7・3と非常に規模が大きく、兵庫県北淡町(現・淡路市)や神戸市須磨区、長田区などでは震度7を記録した。震度1以上となる有感地震は、福島県から鹿児島県までの広い範囲に及んだ。

 この地震では、当初、最大震度を震度計が示した震度6としていた。ところが、その後の気象庁の現地調査で、活断層に沿った一部の地域においては、震度6を超える被害が出たところがあり、震度7に引き上げられる。昭和23(1948)年6月28日に起きた福井大地震を機に設定された「最大震度7(激震)」の適用を受けた最初の地震となった。

 阪神・淡路大震災では、人的被害は死者6434人、重軽傷者4万3792人に上った。建物の全半壊が24万9180戸、一部損壊は39万戸以上、そのほかの火災による罹災(りさい)が約9000世帯、避難者は最大で31万人超に及び、大都市における直下型地震の恐ろしさを日本人は知ることになる。死亡者の死因のほとんどが、部屋にある家具の転倒や倒壊した家屋の下敷きとなっての圧死・窒息死だった。

 木造家屋が密集していた神戸市兵庫区、長田区では「火災旋風」が起きた。火災旋風が起こると、火の燃える速さ、勢いも増す。大きなものは直径数十㍍になる場合もある。火災旋風の温度は1000度を超える場合や、火柱の高さが200㍍にもなる場合もある。関東大震災では、現在の東京都墨田区の避難場所に避難していた3万8000人が、巨大な火災旋風の直撃を受けて命を落とす大惨事となった。阪神・淡路大震災でも火災旋風が火災被害を拡大させた。

 火災旋風が起きた火災の原因は「通電火災」によるものだ。通電火災とは、地震によって一旦(いったん)停止していた送電が再開されたときに、倒壊した家屋や壊れた家電から出火したり、漏電により火災が起きたりする現象のことをいう。神戸市内で157件の建物火災が起きたが、原因が特定できた55件のうち、35件が電気火災で、そのうち33件が通電火災だった。須磨区東部、長田区、兵庫区では6000戸を超す建物が焼失した。ちなみに、東日本大震災においても、本震による火災111件のうち、原因が特定されたものが108件あったが、そのうちの過半数が電気関係の出火だった。

 建物の被害は、木造家屋だけではなかった。昭和53年6月12日に起きた宮城県沖地震を機に改正された建築基準で建設された商業ビルやマンションは大きな被害を出さなかったが、それ以前の旧耐震基準で建設されたものは大きな被害が出た。

 高速道路や鉄道関係にも大きな被害が出たことは記憶に新しい。特に、阪神高速道路では3号神戸線の東灘区深江地区で635㍍にわたり17基の橋脚が倒壊した光景は、誰もが衝撃を受けたはずである。

大事な防災意識の定着

 阪神・淡路大震災の教訓から、自宅で簡単にできる防災対策として、家具の転倒防止の必要性が叫ばれて久しいが、いまだにほとんどの家庭で対策が取られていない。また、自宅を離れて避難する場合、ブレーカーを落とすことで通電火災を防ぐことができるが、この知識を持っている人は意外と少ない。最近は、自宅に感震ブレーカーを取り付けるところもあるが、普及するにはまだまだ時間がかかる。

 阪神・淡路大震災は公助を担う国・地方自治体の初動対応や防災体制を見直すきっかけとなったが、公助に過度な期待をすべきではない。自助で対応できる防災対策の取組みを普段から一人ひとりが行うべきである。加えて、防災意識の定着も大事だろう。

 自助を実践することが、減災にも繋(つな)がり、阪神・淡路大震災の教訓を活(い)かすことにもなるのだ。

(はまぐち・かずひさ)