平成から令和 皇室の弥栄を寿ぐ

対談

東京大学名誉教授 小堀桂一郎氏
拓殖大学国際日本文化研究所教授 ペマ・ギャルポ氏

司会 世界日報編集局長・藤橋進

 天皇陛下が退位され皇太子殿下が新天皇に即位され、新元号・令和の時代が始まった。新時代を迎えたわが国皇室への祝意と期待を東京大学名誉教授・小堀桂一郎氏と拓殖大学国際日本文化研究所教授・ペマ・ギャルポ氏に語ってもらった。

神秘性と気品 日本の宝 ペマ氏
「一視同仁」の皇室外交 小堀氏

まず平成の時代と皇室について振り返っていただければと思います。

小堀桂一郎氏

 こぼり・けいいちろう 昭和8年東京生まれ。東京大学文学部独文学科卒。昭和43年、東京大学大学院博士課程修了。文学博士。現在、東京大学名誉教授。専攻は比較文学、日本思想史。著書に、『森●外』(ミネルヴァ書房)『象徴天皇考』(明成社)など。 ●=鴎のメを品に

 小堀 上皇陛下は平成時代には戦争がなかったということを仰せられましたが、軍事行動のできない国としては当然で、一方では災害の続発によって自衛隊の存在意義への認識が一段と深まりました。災害発生のたびに上皇陛下は直ちに被災地にお見舞いに駆け付けてくださいました。東日本大震災の時は、異例のビデオメッセージで国民を励ましてくださった。また戦跡地の御訪問も平成6年の硫黄島を始めとしてずっと続けてこられた。誠に感謝に堪えません。そして光格天皇以来200年ぶりという御在位中の御退位、御譲位となったのですが、それに対して国民の同情が厚く、陛下もあの御年で、さぞお疲れでしょうと異例の御譲位を国民が誠に素直に受け入れた。もちろん大日本帝国憲法は御在位中の退位はないとなっていたわけで異論もありました。それでも国民の大多数の賛成が得られ、特例法という少し不思議な措置でしたけれども、安倍内閣がうまく処理してくれて、円満に譲位が行われたのは大変結構だと思っております。

 ペマ 私が日本に来た時は昭和天皇の時代でしたので、気持ちの中にも天皇に対する神聖なイメージがありました。それに比べると、平成になってから、かなり変わったような気がします。ただ、上皇陛下にお目にかかった外国の外交官の多くが話しているのは、上皇陛下が相手の国について非常に勉強されていて、とても気遣いをされるということ。私自身は大勢の中の一人としてしか拝謁したことはないんですけど、最初少し驚いたのは陛下が入って来られたとき全員が起立するかと思ったら、安全面の事情で座ったままでお迎えしたんです。災害のお見舞いの時も、陛下がひざまずいて国民と言葉を交わされるのを拝見すると、ちょっともったいないなと思ったことも事実です。

 小堀 ペマさんのおっしゃったことは、私も非常によく分かります。上皇陛下が天皇に御即位になった当初から、なるべく国民に親しみやすく振る舞うということを心掛けておられた。ペマさんは日本人でありながら、日本から離れた目もお持ちで、その視線から、もう少し尊厳性があってもよいのではと思われたわけですが、国民の中にもそういう見方はあると思います。

新元号「令和」がスタートしましたが、発表前から大変関心を集め、出典が万葉集ということで、国民の受け止めはかなり良い。

 小堀 これは伝統と新機軸との見事な融合だと思います。漢字の良き文字を二つ組み合わせるという大化以来の伝統を守り、今回初めて国書、万葉集から採った。発案された方にも、審議を重ねてこの元号を選択された方にも、心からの賛成と敬意を表したい。令和というのは、漢文風に読むと「なごましめる」と読める。誠に日本の心にふさわしい元号だと思います。聖徳太子の十七条憲法の中に「和を以て貴しとなす」という言葉がありますが、太子の昔を思い出させる作用を持つ、よい元号です。中国では清朝が辛亥革命で倒れて以来、元号の伝統は完全に絶えてしまい、日本が元号を使用する唯一の国になった。こういう元号の在り方は、外から見る目もお持ちのペマさんには、どういうふうに映るんでしょう。

ペマ・ギャルポ氏

 ペマ・ギャルポ 1953年チベット生まれ。65年亡命先のインドから日本に留学。ダライ・ラマ法王アジア太平洋地区担当初代代表。モンゴル国立大学政治学博士。桐蔭横浜大学法学部教授を経て拓殖大学国際日本文化研究所教授。2005年日本に帰化。

 ペマ チベット語で「れいわ」というのは「希望」という意味なんです。私は新元号の発表があった時にとにかくうれしかった。これから新しい天皇を戴(いただ)いて、さらに希望を持って輝かしい日本の発展があるようにと祈りました。新元号が発表された時、私はマレーシアにいたのですが、思った以上に外国の国家や国民が関心を持っていることが分かりました。

天皇陛下は来年60歳になられます。これまでの経験の蓄積を土台に、さらに御活躍いただける時が来たわけですが、新天皇への期待をお聞かせください。

 小堀 昭和天皇は「大元帥陛下」という地位であられる一方、生物学者でもあられた。上皇陛下も生物学という学統を継がれた。天皇が学問をなさるというのは、江戸幕府が定めた禁中並公家諸法度以来の伝統です。こういう天皇の伝統から考えると、天皇陛下は英国に留学し、水運、水上交通に関する学問をしてこられた。これは社会的な有用性に一歩近づいておられる。学問の蘊蓄(うんちく)を大いに発揮して社会的な発言もしていただけるのではないかと思っています。

皇室外交への期待もあると思いますが、この点ではペマ先生もいろいろお気付きになったこともあると思います。

 ペマ 私は皇室の外交の力は首相や大臣の何倍も大きいと思います。一つは、やはり2600年以上の伝統を継承していらっしゃる方の雰囲気の中に、相手の人たちを和ませるものを持っておられる。今まで皇室が続いた一番の理由は、国民の敬意そして国民との信頼関係だと思います。ですから、いくら上から親しくしてくださっても、私たちの方で守らなければならないものがあると思います。尾崎咢堂のお嬢さんの相馬雪香先生が亡くなられた時に、上皇后陛下がお悔やみの集まりにお見えになったのですが、その時に、外国人も含めて皆が自然に道を作ったんです。それは命令や権力ではなくて、長い伝統の中で受け継いできた慣習だと思う。それを守るためには、天皇陛下も変えるべき部分と変えてはならない部分があるとお考えになる必要があると思います。神秘性と伝統があるからありがたさがある。外国の権力者であっても自然にありがたさを感じるというのは、日本が持っている一番の武器だと思いますね。

 小堀 外交の場に出た場合の天皇の御威光は、どの国の国家元首も、及びもつかない神秘性を持っていますね。2000年の歴史を背負っておられる方で、その点はヨーロッパの王室との大変な違いです。権力によって国家元首の地位に立った共和制の国の大統領などとは比較を絶した権威を持っておられる。それだけに、1989(平成元)年の天安門事件後の平成4年の上皇陛下の中国御訪問は本当に残念だったと思う。そのように皇室外交が時の政府の政略に悪用されるという恐れは常にあるわけです。天皇陛下の場合も、いかに陛下御自身が謙虚に振る舞われているとしても、126代2000年の歴史を背負った御威光は大変な力を持っていますから、それを悪用されないように気を付けなくてはならない。それは陛下御自身というよりも内閣の責任であり、その内閣を支えているのは国民の意思なんです。

 ペマ 天安門事件後の政治利用と、平成21年に中国の習近平国家副主席(当時)が来日した時も、それまでの慣例を破って上皇陛下との会見の場を設けたことなど、そういうことは国民が許してはならないと思う。そういうことに対して国民がもう少し敏感になるには、国民が今までの伝統を継承して皇室に対する認識をきちんと持つようにしないといけない。特に年長者の責任が大きいと思いますね。

 小堀 天皇の権威を乱用するという風潮が出た場合には、直ちに国民が声を上げなくてはいけないということです。

皇室外交では南太平洋の人口約1万人の島国ナウルについての話もありますね。

 ペマ ナウルの大統領夫妻が国賓として来日した時に、当時外務省や政治家からは陛下との会見を没にしろという声が出ました。しかし、陛下は会うとおっしゃってくださった。会見時間も他国と同じように30分、きちんと取ってくださった。これは外交官の間で一つの美談として残っているんです。上皇陛下は小さな国の元首でも、人口13億の国からの要人でも、同じように接してくださるということを聞くと、非常にうれしくなります。

 小堀 天皇は国民を等しく大御宝(おおみたから)として見てくださっている。「一視同仁」という言葉がありますが、その御心が世界のどの国に対しても、皇室の伝統として発揮されているということが世界で知られているわけですね。

小さな国といえば、天皇陛下はブータンと非常に素晴らしい交流をされています。

 ペマ ブータンの王室の方が来日された時は、日本の皇室のどなたかが必ず会ってくださっていますし、天皇陛下、秋篠宮皇嗣殿下、眞子内親王殿下、佳子内親王殿下がブータンにいらしても、ブータン国民みんなが歓迎します。尊敬を込めた人気とでもいうものを感じます。気品に満ちているということを、みんな口にする。それと、皇室の方は一人一人の話をよく聞いてくださるという。

 小堀 そこが、権力を持ってのし上がった共和国の国家元首とは違うところですね。ロシアにしても米国にしても、国家元首として外交の場に現れると傲然(ごうぜん)とした構えが目に付くが、日本の国家元首は違う。まさに品格という点でずば抜けている。これは日本の宝と言っていいですね。

新天皇陛下が即位されましたが、皇位の安定的継承にはまだ不安材料もあるかと思いますが。

 小堀 とにかく皇室の藩屏(はんぺい)をしっかりと再建しなくてはならない。昭和22年10月に、占領軍の政策によって直宮家以外の11宮家が皇籍を離脱させられたわけです。あれは実に狡猾(こうかつ)なやり方で、離脱せよという命令ではなくて、現在の皇室の財政では到底持ちこたえられないというような財政的圧迫を加えて、日本の皇族自身がある程度皇族を減らしていかないと皇族の威厳を保つことができないという緊急の必要に迫られてしたことなのですね。これは、昭和27年に講和条約が発効して主権回復した時に直ちに元に戻す手続きを取っておかなくてはいけなかったのです。その後、直宮家だけで皇室の発展が成立するくらいに、繁栄してくださればよかったんですが、そうはいかず先細りになってしまって、悠仁親王殿下が即位なさるという時には、現在のままでいけば皇族が一人もいなくなるわけです。

非常に重要な帝王教育 小堀氏
お支えする人材確保を ペマ氏

 小堀 つまり身近でお支えする皇族が一人もなく、天皇が孤立してしまうという大変な事態になる。現在でも天皇陛下は直宮家が少ないために、両陛下だけで大きな負担を負われているわけです。それを女性の皇族方でお支えするという状況になっていますけれども、やはりそれには限界がある。これはよほど考えておかなくてはいけない。また、天皇の御公務を身近にあって支える皇族という一種の氏族集団が充実していなかったら、いかなる健康な天皇が即位されても、公務過剰でお疲れになってしまう。皇族の再建は法的にやればできることです。参院の委員会でも、これに関する建設的な質問が出たようですが、それに対して安倍晋三首相が、占領時代に生じた大量の臣籍降下という事態についてこれを自分から覆すつもりはないという答弁をしたのは誠に残念でした。令和の時代に国民が果たすべき課題として、皇室の藩屏の再建ということを真剣に考えていかなくてはならないと思います。

安定的継承とともに、将来天皇になられる悠仁殿下の帝王教育がどうなるのかも気になります。

 小堀 帝王学というのは非常に大事なことですね。昭和天皇の幼年時代は学習院長の乃木さんがおられ、杉浦重剛という立派な方がおられて実に見事な帝王学を修めることができたわけですけども、やはり戦後、占領下にお育ちになった上皇陛下は、私と同年齢でいらっしゃるので、学校ではどういう教育を受けてこられたかというのがよく分かるのです。つまり戦後の教育界の雰囲気ですね。小泉信三さんのような立派な方が皇室にお入りになって、君主の道徳の涵養(かんよう)ということを主眼に熱心な教育をなさったのですが、やはりいかんともしがたい時代の空気があった。日本の皇室自体が占領政策によって一種の危機に瀕した時代で、しかも、冷戦が始まってソ連の勢いが強くなって、具体的には君主制を根絶するというコミンテルンの世界制覇の野望が見えている。そういう中、小泉さんの帝王学も、国民の支持を失ったら皇室は危ないのだという観点から専ら君徳を修めよというような教育をされてきた。しかし、日本人の皇室に対する尊崇、尊敬の伝統は、そんなにやわなものではないんです。これだけ立派な皇室の伝統があって、国民がそれをよく知っている。こういう国にあっては天皇がそれほどに民心収攬のためにお気遣いなさらなくても国体は安泰ですよという、そういう教育がむしろ必要だったと思います。小泉さんにはそれなりの危機感があったのだろうと思いますし、それは十分に理解できますが、その点はもう少し日本の皇室伝統の安定性を信じてもよかったのではないかと思います。

 ペマ 日本が戦争に負けてから、いろんな環境が変わったこと、特に世界全体としても共産主義革命が盛んだったから、そういう意味では、いま小堀先生がおっしゃったような配慮が必要だったかもしれません。ただ、今のメディアのやり方は日本らしさがないというか、電車の中で雑誌の広告を見たりすると、皇族について普通のアイドルのような扱いをしています。これは皇室の問題というよりもメディアのモラルの問題であり、商業主義に走るメディアに対して、国民が不買運動までいかないにしても、何らかの措置を取る必要があるのではないかと思います。皇族が好奇心の対象にされるのはいいことではない。

 小堀 おっしゃる通り、日本らしさが欠けてしまったのですよ。

 ペマ あと私が日本に来た時は昭和天皇の時代でしたけれども、昭和天皇の周りの方々もある種の品格、存在感があったんですよ。それがだんだんと宮内庁が官僚の出先機関みたいになって、当時とはかなり雰囲気が違っている。私自身、ダライ・ラマ法王の下で15年間お仕えして、一番思うことは、周囲がさまざまな行事などについて、どれだけ知識を持って対応できるかということです。そういう意味で、宮内庁は中から、あるいは元皇族、元華族も含めて、周りにそういう人材を確保することが大事ではないかと思います。

 小堀 本当に尊王の意識をしっかり持った人たちが皇室の周りにいなければ、特に宮内庁の人たちが単なる官僚的な公務の意識だけでなく、本当に皇室を尊ぶという心を持ってお仕えしなければ、皇室から日本らしさが乏しくなっていくと思いますね。

きょうは新時代の門出にふさわしいお話をありがとうございました。