中国共産党100年 「暴力と謀略」への対処誤るな


 中国共産党が創建100周年を迎えた。1921年7月にコミンテルンの指導の下、上海で第1回党大会を開催。コミンテルンはソ連国際共産主義運動の指導統制組織で、世界革命を目指した。中国共産党には、世界覇権への野心が組織のDNAとして組み込まれている。

 好戦的な戦狼外交を強化

 その後、中国共産党はソ連と袂(たもと)を分かち、鄧小平時代に入ってからは共産主義そのものも棚上げして市場経済を導入。西側諸国からの資本と技術の受け皿になった中国は米国に次ぐ経済力を持つまでに至っている。

 だが国際共産主義の旗こそ振らないものの、中国は世界覇権構築への野心を放棄したわけではなく、歴史的に中国に息づく中華思想がこれを支えている。

 中華秩序の特徴は、圧倒的パワーがあれば力の行使を躊躇(ちゅうちょ)することはないが、これが欠落している時、屈辱の「逆朝貢」も辞さずに相手を手なずける。つまり、中国共産党の世界覇権構築の手段は「暴力と謀略」だ。

 産声を上げた中国共産党が、国内で対峙(たいじ)したのは蒋介石率いる国民党だった。まず繰り出したのは国共合作という謀略だ。国民党の軍隊が日本軍と熾烈(しれつ)な戦いをしている時でさえ、ほとんど協力を拒んだ。国民党に寄生して体力を奪い、将来の内戦に備え勢力温存に徹した。

 そして1949年10月1日に建国を果たすと、中国の暴力は直ちに周辺諸国へ向けられた。同月に人民解放軍は新疆ウイグルに侵攻して占領。55年に新疆ウイグル自治区が設置された。また50年には、チベット東部のカム地方に侵攻している。

 さらに同年、韓国に侵攻した北朝鮮軍が米軍に押し返されると、毛沢東は人民解放軍を投入し、約100万の大軍が鴨緑江を越えていった。そして79年には、対越戦争も仕掛けている。

 この「暴力と謀略」路線は現在、デジタルや海上、宇宙空間にまで広がっている。対処を誤ると、西側世界は脆弱(ぜいじゃく)な脇腹を突かれる可能性がある。

 中国共産党は既に、鄧が採択した韜光養晦(とうこうようかい)(能力を隠し外に出さない)路線を捨て去り、戦狼(せんろう)外交と言われる好戦的な外交姿勢を強めている。国際政治の中で自分の力にふさわしい外交路線という位置付けだ。

 懸念されるのは、台湾海峡の波が高くなっていることだ。中国が朝鮮戦争に加担したのも、朝鮮半島を抑えれば次は台湾侵攻というシナリオがあったからだ。「日の沈まぬ国」と言われた英国の凋落(ちょうらく)はスエズ運河を手放したことが象徴的だったが、中国の台湾侵攻を許すことは西側世界にとって21世紀のスエズ運河放棄になりかねない。

 今の東アジアは、許渾の「咸陽城東楼詩」にある「山雨来たらんと欲して風楼に満つ」といった情勢だ。これは山雨がやって来る前には、高殿へ風が吹きつけるとの意味だが、南シナ海進出や3隻目の空母建設、量子コンピューターの開発など中国の脅威が急速に増しつつある。

 巨大市場に惑わされるな

 わが国は「人口14億人の巨大市場」に惑わされることなく、こうした歴史的視点を保持した対応を果たす国際的な責務がある。安全保障は経済に勝る。