玉城デニー新沖縄県知事、前途多難な船出
辺野古移設阻止を最重要課題、国と対立が激化
先月30日に行われた沖縄県知事選挙で初当選した玉城デニー新知事は4日、県庁に初登庁した。翁長雄志前知事の遺志を受け継ぎ、政府が進める米軍普天間基地の名護市辺野古への移設阻止を県政の最重要課題と位置付けているため、国との対立が激化することは避けられない。一方、敗北した自民・公明側は戦略の立て直しを急いでいるが、知事選に続く豊見城、那覇の市長選でも厳しい戦いを強いられている。(那覇支局・豊田 剛、写真も)
自公は戦略の立て直し急ぐ、豊見城・那覇市長選も厳しい戦いに
台風24号の復旧作業が不十分なままの4日、台風25号が接近してきたため、県庁職員は午後0時半に仕事を切り上げた。その一時間半後、玉城新知事は、県庁で開かれた就任後初めての記者会見に臨んだ。
「翁長知事の遺志を継ぐ」。選挙期間中、玉城氏が何度も口にしたフレーズが繰り返された。さらに、「県民が選挙で示したのは、辺野古新基地建設反対の民意だ。米軍基地の整理縮小が急務で(辺野古などの)新たな基地は到底容認できない。普天間の閉鎖・返還、新基地建設阻止に全身全霊で取り組む」と玉城知事は強調した。
こうした姿勢は、台風の爪痕がまだ残る3日、玉城氏が駆け付けたのが台風の被災地ではなく、名護市辺野古のキャンプ・シュワブ前の反基地活動拠点だったことからも分かる。玉城氏は、「We Love(ハートマーク) Denny(私たちはデニーが好きだ)」と書かれたプラカードを掲げる支援者に熱く出迎えられた。
ただ、県が8月末に行った埋め立て承認の撤回に対し、政府は近く「執行停止」を裁判所に申し立てる方針だ。これについて玉城氏は、「県庁内部、法律の専門家と精査したい」とし、対抗していく構えだが、県の敗訴は濃厚だ。
また、玉城氏は移設阻止策として、「対話の窓口を日米両政府に求めていく。普天間(飛行場)や辺野古(代替施設)を沖縄だけの問題にしないために、日米の安全保障の根本的なところから意見交換を始めてもいいのではないか」と述べ、早い時期に両政府と対話して問題解決を目指す考えを示した。さらに、「私たちが移設場所をどこにしてと言明、限定する必要はない。米海兵隊の運用は、一義的には米側が構築していく問題だ。沖縄県側が軍の運用について言葉を挟むことはできない」と語った。
これまでのところ、玉城氏は日米両政府が合意した在日米軍の再編および統合計画について具体的に言及していない。ただ、日米特別行動委員会(SACO)は1996年に合意し、普天間飛行場の移設先を名護市辺野古と決めた。さらに、日米両政府が13年に発表した「沖縄における在日米軍施設・区域に関する統合計画」では、那覇軍港を浦添沖へ移設すること、および、牧港補給庫(浦添市)の機能を嘉手納基地(沖縄市知花地区)および陸軍トリイステーション(読谷村)に移設することが決まっている。
前知事の翁長氏も日米合意をないがしろにして政府と立ち向かうことを、「いばらの道」と表現したが、玉城氏も同じく、「いばらの道」であることを認めた。「今後、いばらがあるなら踏みしめ、踏み越え、かき分けて進む」と表現したように、前途が多難であることは間違いない。
県民からは、被災地よりも辺野古を先に訪問する姿に、「玉城氏の姿勢は県民ファーストではなく、反基地ファーストだ」(宜野湾市民の安全な生活を守る会の平安座唯雄会長)といった批判が出ている。普天間門前まちづくり期成会の柏田吉美会長も、「玉城氏が(沖縄)独立論のような考えを掲げているのが心配だ」と指摘した上で、「翁長氏と同様、辺野古移設阻止に傾倒するあまり、普天間の危険性除去がないがしろにされる」ことを危惧した。
一方、宜野湾市長だった佐喜真淳氏を擁立し、自民、公明、維新がスクラムを組み、自民の“空中戦”と公明の“地上戦”を生かした総力戦で臨んだだけに、佐喜真陣営の敗北の衝撃は大きい。自民党県連幹部は、「中央政府が出すぎることで、佐喜真氏は国の『操り人形』だと印象付けてしまった」と話し、今後の戦略の立て直しの必要性を指摘した。だが、今年の沖縄決戦が終わったわけではない。
14日には那覇市ベッドタウンの豊見城市、21日には県庁所在地の那覇市で市長選が行われる。革新陣営は玉城氏の勝利の勢いに乗り、両市長選で新知事を前面に出す作戦だ。これに対して、自民、公明は巻き返しを図りたいところだが、豊見城は保守系候補が分裂。両市とも厳しい戦いとなっている。







