安慶田副知事辞任、問われる翁長知事の任命責任
前教育長が疑惑の全容証言、自民は「百条委」で攻勢へ
沖縄県の安慶田(あげだ)光男副知事は、2015年の教員採用試験で特定の受験者を合格させるよう県教育委員会に依頼した疑惑を受け、県政を混乱させた責任を取って辞任した。ところが、翁長雄志知事と安慶田氏が関与を否定していた疑惑について、前教育長が24日、関与の事実を証言した。2月の県議会で自民党は翁長知事の任命責任を徹底追及する構えだ。(那覇支局・豊田 剛)
宮古島市長選で革新敗北、翁長陣営の求心力低下は避けられず
県教育委員会は24日、急きょ、記者会見を開いた。その中で、平敷(へしき)昭人(しょうじん)現教育長は、23日の調査で事実関係を認める複数の証言があったことを認めると結論付けた。決定的証拠となったのは、諸見里(もろみざと)明前教育長が、22日付で平敷氏に宛てた文書だ。
それによると、安慶田氏は2015年8月、教員採用試験で3人の受験者を合格させるよう県教委に依頼。県教委の職員が副知事室に呼び出され、複数の受験者の氏名や受験番号が書かれたメモを渡されたり「よろしくお願い」と言われた。10月末には副知事から県教委に電話がかかってきた。
さらに、15年1月中旬、教育庁の人事について副知事室に呼ばれ、ある幹部を指導統括監に就けるよう指示を受けたが固辞した。翌年には、同一人物の異動配置を指示されたが、これも固辞したところ、「厳しい恫喝(どうかつ)を浴びせられた」という。
県教育庁は20日の記者会見で、18、19の両日に諸見里氏ら元幹部5人に電話での聴き取り調査をしたが、全員が否定し「働き掛けの事実はなかった」と結論付けていた。
諸見里氏は当初、「私が口を閉じればそれで収束する」との思いがあったという。そのため、「依頼などなかったとしてよろしいですか」という誘導的で簡単な質問に対して、「はい、それでよい」と回答した。
真相を打ち明けるきっかけとなったのは、①「教育の中立性」を確保する必要性②事実解明を求める県民の声③事実を隠蔽(いんぺい)することに対する道義的責任④副知事の言動に対する違和感―だった。
安慶田氏が辞任の記者会見を開いたのは23日のこと。21日に、弁護士を通じて翁長氏に辞任の意向を伝え、22日に翁長氏に直接会って説明したという。
安慶田氏は「今回の報道で多くの県民に不安を与え、県政を混乱させた。翁長県政のイメージダウンをもたらし、『辺野古新基地』問題や予算編成の重要な時期に、行政運営に混乱と停滞を招いている」と辞任の理由を説明。その一方で、疑惑の関与については一切を否定していた。
20日の会見でも疑惑の関与を強く否定。その時点では「辞任するつもりはない。今後もしっかり職務をまっとうしていく」と強調していた。
突然の辞任について安慶田氏は、「熟慮した上で、県政がスムーズに運営するよう辞任した方が良いと判断した」と述べたが、たった1日で状況が一変したことについて不自然さが残っていた。
安慶田氏の辞任の意向を受け、翁長氏は23日、記者会見で「辞任を了承する」と発表したが、疑惑については「事情の変化はない」と述べるにとどめた。
自民党県連の照屋守之会長は24日、記者会見を開き、「22日の時点で前教育長が事実認定したにもかかわらず、疑惑の内容を認めなかった昨日(23日)の会見は何だったのか疑問だ。事実を隠蔽したと受け止められる」と述べ、県議会2月定例会で徹底追及し、百条委員会にはかる考えを示した。
知事を支える「オール沖縄」陣営の元保守系側近が辞任に追い込まれたことは、「オール沖縄」の求心力と結束力の低下を意味する。
先の宮古島市長選で県三役が応援した候補が敗北したのはその象徴と言える。
翁長知事を支える革新陣営は、医師の下地晃氏が選考委員会によって選ばれたにもかかわらず、元県議の奥平一夫氏を翁長氏が応援した。世論調査の動向を見てあっさり公認候補の下地晃氏を切り捨てた翁長氏に対する批判は避けられない。
知事側は、選挙後は「ノーサイド」として、今後の選挙に向けて勢力の結束を図ろうとしているが、下地晃氏を推薦した社民、社会大衆党の中に裏切られたという思いがくすぶっている。
政府としても安慶田氏の辞任は痛しかゆしだ。安慶田氏は、基地問題や予算交渉で官邸や自民党本部との交渉役を果たしていた。これまで、副知事は2人とも元自民だったことから、安慶田氏の後任に革新系の人物が選ばれる可能性がある。そうなれば、県と政府、自民党本部との関係が悪化することもあり得るだけに、後任人事の行方が注目される。












