基地の街コザ 米軍外出禁止でシャッター街に
沖縄県ロック協会の宮永英一前会長に聞く
音楽、アートで活性化を 先代の築いた基盤を大切に
元海兵隊の米国籍の男が沖縄の女性を殺害、遺棄した疑いで逮捕された問題で、米軍人軍属の外出および飲酒を制限した影響で、沖縄市コザ地区など基地の街の飲食店は経済的打撃を受けている。コザロックの創始者の一人で戦後のコザの盛衰を経験した宮永英一氏に基地との共存、コザの繁華街のあるべき姿、沖縄の政治状況などについて聞いた。(那覇支局・豊田 剛)
企業経営者の声封じる翁長知事
――米軍関係の事件・事故の影響で米軍人軍属の外出禁止令が出された。基地の街コザの現状は。
基地問題で真っ先に犠牲になるのはコザ。人通りがなくなり、見ての通りのシャッター街になってしまった。米軍関係者の立ち入りが厳しくなり、店はつぶれているが、一切の補償はないし、地元の人々は知らんぷりをしている。
戦後、コザには全国、そして、海外からたくさんの人が夢と希望を持って集まってきた。自ら生き抜くためであり、故郷の家族に仕送りをするためであった。コザは寄留民が集まっている場所だ。
米軍統治下で、ニューコザと呼ばれる歓楽街ができた。私はそこで幼少時代から中学校まで過ごした。米軍施政下の1969年、軍の民間地区への立ち入りを禁止する「オフリミッツ」が出たため、繁華街で働く人々は全員仕事を失った。その後、「BC(ビジネスセンター)通り」(現在の中央パークアベニュー)、「ゲート通り」といった白人の米軍が集まる歓楽通りが誕生した。
そして、翌70年のコザ暴動で再び外出禁止になった。周辺の店はバタバタとつぶれた。その時も、やはり地元への補償は一切なかった。
――パークアベニューは空き店舗が目立っていて、当時の面影はほとんどない。
私は今でもBC通りと呼んでいるが、ここは戦後の沖縄経済のすべて。80年代になって通りをリニューアルした際は1階も2階もすべて店舗で埋まった。外見は良くなったかのように見えたが、すぐに空き店舗が出始めた。通りは一方通行になり、ヤシの木が根こそぎ抜かれた。親の世代が苦労してつくった基盤を根こそぎ変えてしまった。
米軍関係者と沖縄の人との健全な商売ができた当時のようなBC通りを取り戻さなければならない。これは決してノスタルジーではない。
世界的には沖縄市は知られていないが、コザのBC通りは多くが知っている。99年6月に沖縄県ロック協会の誕生を記念して音楽祭を開催したが、世界中のあらゆるイベントで2番目のアクセス件数を記録した。音楽、アートによって通りを活性化したい。そうすれば、コザ、沖縄県全体の活性化につながる。
時代や文化が変わっても変えてはいけないものはある。それが世の中の「理」というもの。親、そしてその親と先祖代々の連続の中、私たちは生かされている。街の発展も同じで、先代の苦労を絶対に忘れてはいけない。
コザは軍関係で経済基盤をつくった企業がほとんど。今は2世が経営しているが、残念ながら先代がつくった基盤をないがしろにしてしまっている。
政治家も同じだ。これまでの歴史の積み重ねを否定して、簡単に「基地反対」を言うような政治家は信用できない。
――沖縄における反基地運動をどう評価するか。
県知事を支持する人々からは「海兵隊撤退」という声が上がっているが、撤退した後の具体策は一切ない。むやみやたらに反対しているだけ。
単純に考えれば沖縄には基地がない方がいい。中国が台頭している今、日本だけでアジアの軍事バランスを保てるかといえば、それは不可能だ。世界全体で軍隊がなければいいが、現実は違う。万一のための備えをしていなければならないが、それが基地だ。物事はいろんな角度から見ないといけない。
沖縄県内の事件事故の中で、軍の割合はどれぐらいか。一つの事件がすべてであるかのように報道している。自分たちの都合だけを考えている人々をマスコミは取り上げ、基地容認派が自由に物を言えないようになった。報道の不平等性が一番危険だ。これは第2次世界大戦の軍国主義のマスコミ統制と変わらない。
名護市辺野古で反対運動をしている地元の人は1割にも満たないと聞く。キャンプ・シュワブは地元が誘致してできた基地なのだが、地元の人は本音を話せなくなってしまった。
――知事は沖縄の「誇り」や「アイデンティティー」を口にする。
知事のやり方には、コザの企業の経営者らも言いたいことが言えない風潮が出来上がってしまった。
僕が作った歌にこのような歌詞がある。
「とぅりむどぅさなや、うるまじま」(取り戻さねばならない、沖縄を)
世の中のことをしっかり見据えて真実を知った上で、アイデンティティーをしっかり取り戻そうという意味だ。このままでは真実が闇に葬られてしまう。
みやなが・えいいち
1951年生まれ、コザ(現在の沖縄市)出身。中学校卒業後、ドラマーとしてロック音楽の道に進み、ヤングキング、キャナビス、紫、コンディショングリーンなど数々のバンドで活動。現在はコザBCバンド、夢幻に所属。「ウェイクアップ琉球」と題して全国ソロツアーも行う。今年6月まで沖縄県ロック協会の会長を18年務めた。ライブハウス「鼓響館」を運営。2010年に東久邇宮文化褒賞を受賞。