9月8日を「クバの日」に、条例制定を求める

 沖縄の神木とされるクバ(ヤシ科、和名ビロウ)の有用性や価値を見直すとともに、持続的発展する社会に取り組む運動が始動した。持続可能な開発目標(SGDs)に取り組むに当たり、適切な樹木として、今後、注目を集めそうだ。(沖縄支局・豊田 剛)


元沖縄県議会議長の西田氏が「球葉の緑化推進協会」を設立

 約3万年前、日本人の祖先が丸木舟で台湾から与那国島に到着した。国立科学博物館のチームが2019年7月、その再現に挑み、成功した。その際、丸木舟の先端と船尾に使われていたのはクバの葉であることに、元沖縄県議会議長の西田健次郎氏が目を付けた。「クバは撥水(はっすい)性が高いため、飲み水、塩、食料などを水しぶきから守ることを数万年前の祖先は理解していたのだろう」と推測する。

 西田氏が設立した「球葉(くば)の緑化推進協会」は昨年7月、沖縄県が特定非営利活動(NPO)法人として認可した。

 「県民をはじめとするすべての人々に対して、クバを活用した事業を行い、地球の温暖化を防ぎ、また沖縄の伝統文化に触れ、産業を確立することで、沖縄に誇りを持ち、誰もが豊かな心で暮らせる地域づくりに寄与すること」を目的とする。

昔の沖縄では実生活や武道に欠かせなかった神木・クバ

9月8日を「クバの日」に、条例制定求める

久高島に生い茂るクバの木=沖縄県南城市久高島

 クバは、琉球の祖霊神とされるアマミキヨが降臨したと言い伝えられている木、すなわち神木だ。神様が高いクバを伝って地上へ下りると信じられていたため、沖縄の御嶽(うたき)(琉球神道の祭祀(さいし)を行う施設)によく見られ、クバがある拝所は「クバの御嶽」や「クボー御嶽」と呼ばれている。神の島と伝えられている久高島にはクバが生い茂り、祭祀でクバを使っている。沖縄の古典、「琉球国由来記」「球陽」「おもろそうし」には、アマミキヨの依り代として登場する。

 昔の沖縄では実生活にも欠かせなかった。古くは家を建てる際、柱や梁(はり)として使われた。クバの葉で水を汲(く)むひしゃくを作り、現在も扇団(うちわ)や漁師のかぶる「くば笠」が生産されている。また、久米島や与那国島では今でも食材として使われている。

 沖縄伝統空手・古武道にもクバは欠かせないものだったと推測される。神事として使われたクバは巫女(みこ)の舞、そして、奉納演武の棒術にも使われるようになった。戦前の沖縄空手の大家の一人、喜屋武朝徳は、クバでできた六尺棒を使っていたことが分かっている。久高島ではクバの六尺棒がご神体としてまつられている。沖縄が発祥の空手愛好家は、今では世界187カ国・地域で約1億人に達するとされる。ところが、空手に使われる道具の素材はほとんどすべてが県外産だ。

有用性・価値を見直す動き、SDGs一環の植林活動も

 宮古島市総合博物館によると、クバが減少した原因として、「台風によってクバが倒れ枯れてしまったことや、タイワンカブトムシによるクバの食害などが挙げられる」。クバが使われていた御嶽の中でも、クバが確認できないものも増えているという。

 西田氏らは2019年夏、南城市の沿道に植えられていたクバ34本のうち、32本が伐採されているのを確認した。東京五輪の開催を記念して1964年、南城市の国道331号沿いに植えられたものだという。

9月8日を「クバの日」に、条例制定を求める

李登輝元総統が出席する式典でクバを植樹した西田健次郎氏(右)ら=2018年6月、沖縄県糸満市の平和祈念公園

 「現在では、クバの重要性を知らない世代が多くなり、クバの有用性を伝承する人もほとんどいなくなった」。クバについて組織的な研究が行われておらず、価値が分かる人が少なくなったことを憂えた西田氏は10年ほど前からクバや歴史に精通する仲間を集め、研究を始め、7年ほど前からクバの植え付けや苗販売を始めている。2018年6月には、台湾の李登輝元総統が臨席する中、糸満市摩文仁の平和祈念公園内の台湾の塔の敷地にクバが植樹された。

 協会は、クバの葉は1㍍以上に広がっているため、効率よく二酸化炭素を吸収できることから、二酸化炭素排出の問題に有益だと認識している。子や孫の代を見据えたSDGsの一環として、植林活動を県民ぐるみで行うことを目標としている。街路樹や公園、学校の校庭やグラウンド、さらには海岸線や山間地に至るまでクバの木を増やすことを目指している。

 クバ植林の機運を高めるべく、協会は、語呂合わせで9月8日を「クバの日」として条例化するよう、県や市町村に働き掛けることにしている。


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クバ

 九州南部以南、中国南部から琉球列島や台湾にかけて自生する。幹は単幹で直立し、高さは15㍍、葉は円形に広がり、直径1~2㍍ほどある。成長するまで100年ほどかかるとされる。