オールジャパンで焼失した首里城の再建を
日本沖縄政策研究フォーラムの仲村覚代表らが提言
火災により多くの被害が出た首里城(沖縄県那覇市)再建のため、沖縄県と国の連携が求められる中、玉城デニー知事は「首里城の国から沖縄への所有移転の議論も必要」との考えに言及した。地元マスコミも沖縄独立論者を多く起用して「所有返還」の見解を紹介。これに対して「新たな統一戦線だ」とし、警戒すべきだとの声も起きている。(沖縄支局・豊田 剛)
沖縄独立論者が地元紙で県への「返還」を主張
玉城デニー知事も姿勢一転「所有移転の議論を」
「新たな統一戦線」と警戒、沖縄と首里城の正しい認識を
10月31日に発生した火災で9棟が燃え、そのうち4棟は跡形もなくなった。首里城の設置者は国、管理者は沖縄県、指定管理者制度で運営管理するのは沖縄美(ちゅ)ら島財団だ。同財団によると収容する約1500点の美術工芸品や文書などの文化財のうち、約1千点を回収したが、残る約500点は焼失した。中には原本も含まれているという。
火災から1週間後の7日、玉城デニー知事は記者会見で、再建に向けた方策を検討するための「県民会議(仮称)」と知事直轄の新たな部署「首里城復興戦略ワーキングチーム」を設置すると発表し、18日に発足した。辞令を受けた6人の県職員は、復旧に向けたロードマップの策定や政府との調整、寄付金の活用方法の検討などを担当する。玉城氏は「多くの県民が首里城の復旧復興に参画できる取り組みを進めたい」と述べ、具体的には「県は国のパートナーとして、しっかりと連携して(復元を)行う。正殿は国が復元した経緯があるので、そういう形になるだろう」と説明した。
ところが、玉城氏は15日の記者会見で、首里城のあり方について「所有者は国で、国の予算で復元してきたが、さまざまな法律の観点から考え、(県へ)移転するかどうかの議論も必要になってくる」と新たな考えを示した。4度の火災を経て復元された現在の首里城は内閣府が所有しているもので、今年2月から県が管理している。
地元紙の琉球新報は火災発生を受け、「首里城再建 識者の見方」という連載で、17日まで7人の有識者の論文を掲載しているが、そのほとんどが沖縄の独立論者で、「沖縄への所有返還」を求める意見が多数を占めている。
沖縄の歴史や政治思想に詳しい日本沖縄政策研究フォーラムの仲村覚代表は、復元について地元のマスコミが「県民主体で」という意見を取り上げているが、「これは新たな統一戦線」だと指摘。中でも、沖縄県民を「先住民族」として国連に働き掛けている先住民族論者の多くは、主体思想を支持していることを警戒。「沖縄の歴史、首里城の歴史を正しく認識した上で、オールジャパンで再建すべきだ」と強調した。
元副知事で沖縄県立博物館・美術館館長を務めた牧野浩隆氏は本紙の取材に対し、「県民の気持ちが一つになっている今こそ、県は国と協力して復旧に取り組むべきだ」と指摘。その上で「今後、首里城だけでなくすべて(九つ)の関連遺産群を一括して管理する仕組みを考えるべきだ」と提言した。
今回の火災では、管理責任問題も問われている。正殿内にスプリンクラーが設置されていなかったことや警備体制が手薄だったことも明らかになった。県の対策本部が設置されたのは火災発生から12時間後。火災発生当時、玉城デニー知事は韓国出張中で、その間の職務代理者を置いていなかった。池田竹州知事公室長が県議会の答弁で明らかにした。
また、自衛隊にも消化支援を要請しなかった。県の当局は、「自衛隊の派遣要請は頭にあった」としながらも、「原則として消火に当たる市町村が必要に応じて要請する。夜間や都市部で空中から消火するのは技術的に難しい」と説明した。これに対し自民党県議は、自衛隊や米軍などあらゆる手段を尽くすのが筋ではないかと反論。座波一(ざははじめ)議員(自民)は「原因究明無くして復元なし」と訴えている。
=メモ= 首 里 城
15世紀に琉球三山を統一した尚巴志(しょうはし)が築城したとされる。1879(明治12)年の琉球処分で王国が途絶えた後も建物は残された。1925(大正14)年、正殿が当時の国宝指定を受けたものの、沖縄戦ですべての建物が焼失。1958(昭和33)年に守礼門が復元され、1992(平成4)年以降、正殿などの主な建物が甦(よみがえ)った。2000(同12)年に首里城跡が「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」世界文化遺産に登録された。今年2月には「御内原」など新施設が公開されたばかりだった。