教育再生の根本問題
麗澤大学大学院特任教授 高橋 史朗氏
「育自」から「育児」へ
麗澤大学大学院特任教授の高橋史朗氏は14日、世界日報の読者でつくる世日クラブ(会長=近藤讓良・近藤プランニングス代表取締役)で「教育再生の根本問題」と題して講演し、親自身の成長を支援する教育政策への転換が必要だと強調した。以下は講演要旨。
「親育ち」支援必要に
量的拡大に伴うべき質向上
教育改革というのは教育における「不易流行」、変えてはいけないものと変えねばならないものの両方を見なければならない。

たかはし・しろう 1950年、兵庫県生まれ。早稲田大学大学院修了後、スタンフォード大学フーバー研究所客員研究員、臨教審専門委員(政府)、青少年健全育成調査研究委員会座長(自治省)、松下政経塾講師・入塾審査員、埼玉県教育委員長、明星大学教授、玉川大学大学院講師を経て、現在、麗澤大学大学院学校教育研究科道徳教育専攻特任教授、モラロジー研究所教授、男女共同参画会議議員(内閣府)、日本仏教教育学会常任理事、日本家庭教育学会常任理事、日本感性教育学会理事、親学推進協会会長。新著に『ウォーギルト・インフォメーション・プログラムと「歴史戦」』(モラロジー研究所)。
ダライ・ラマ法王14世の名誉博士号授与式が麗澤大学で行われた時、講演の後に中高生から「辛い時、苦しい時、どう乗り越えればいいか」という質問があった。法王は瞑想によって怒りや不安を鎮め、心の平和を取り戻していると仰っていた。
これは教育の原点だ。最近は自分探しとも言うが、自己認識ということである。日本の教育は教科のたこつぼ「授業ボックス」の中に埋没している。教科の基本は教えるが、人間教育の基本は失われ、それぞれの科目の中には関連性がない。そこを貫いているのは自分自身をどう認識するかという自己認識だ。
今は先生も忙し過ぎて疲れている。先生が元気を無くしたら、子供も元気でいられない。保育現場もかなり疲弊している。11月に保育士の労働組合が実態調査の結果報告をしていたが、8割の保育士が職場で保育士や職員が虐待に当たる行為を見たことがあると回答した。これは大変な統計だ。言うことを聞かないからと3歳児に椅子を投げる、食事を無理やり口に詰め込む、園児を差別する、動画サイトを見て放置するという現場がどんどん増えている。
私が教育の無償化政策に異議を唱えるのは、質の向上に焦点が当たっていないからだ。例えば、保育の無償化で家庭保育を選択するか保育園に子供を預けるかは本人の自由だ。しかし、両方の選択は平等に保証されなければならない。
ところが現実は、保育所に子供を預ける方に政策が偏っている。子供は0歳からどんどん預けられ、それは逆に保育所へのニーズを高めて、待機児童を増やしかねない。スウェーデンでは0歳児保育はしておらず、イギリスは3~4歳児に限定している。
私は以前、内閣府の男女共同参画局が出している月刊誌「共同参画」の巻頭言で、少子化対策についての問題提起をした。これまでの少子化対策は失敗した。それは少子化の原因を取り違えたからだ。
育児期において、親が子供を産み育てやすくする政策が不足している。少子化対策としてのこれまでの子育て支援策は、働く女性の子育て負担を保育サービスの量的拡大によって軽減することが主目的で、親としての成長・発達を支援する「親育ち」支援という視点が欠落していた。
質の向上とは要するに保育士や幼稚園の先生や親が元気になり、成長することを支援することである。これこそまさに人づくり革命だ。量的な拡大だけを強調する政策は質の向上を伴っていないので問題だ。
私は第1次安倍政権の教育政策から後退したと考えている。第1次では大平政権の「家庭基盤の充実」「日本型福祉社会」を再評価していた。
大平政権の政策研究会の報告書(昭和55年8月30日)によると、「全体と個の調和のとれた新しい道を模索する」と言っている。そして「人と人の間柄を尊重する人間性の回復が求められている」とある。私は「包括的主体性」と言っているが、他から切り離された個の主体性ではなくて、つながりの中で生かされている自分の自覚という認識だ。
さらに「風格のある家庭」「美しき老年」という言葉も出てくるが、これは今の日本に一番失われたものになった。65歳以上の万引きが全体の3~4割を占め、なぜ万引きをするかと聞くと、「さみしかった」「声を掛けてほしかった」「スリルが唯一の生きている実感だった」と、こんな寂しいことを言っている。
また、親性崩壊という問題もある。親が親として育っておらず、親の保護能力が衰退している。私が関わった日本ギャルママ協会の幹部は、親から愛されたことがないから子供がかわいいと思えず、『親はこうあるべきだ』と高みから言われても辛くて、とても受け入れられないと言っていた。つまり、一番支援が必要な親に支援がいかないという深刻な現実がある。
「母という病」「父という病」という精神科医の岡田尊司という人が書いた本がある。「母という病」を抱えた子供の特徴は、①親が褒めてくれないので自己肯定感が低い、②親に認められたいので親の前では良い子を演じる、③完璧にこだわる、④親に逆らえない、⑤傷つきやすい、⑥自分を損なう行動に出やすい、⑦過度に自分を犠牲にするといった傾向が出てくる。
教育の中核となる原理は父性原理と母性原理だ。母性原理は存在を受容し、無条件に飛び込んでいける働きで、辛いことがあってもお母さんに抱きしめられて元気になるというのが母性の持つ懐の深さ、強さだ。一方、子供を放り出して壁になるというのが父性原理であり、母性的な関わりと父性的な関わりのバランスによって、子供は成長発達していく。ところが前述した「病」によって、両方が欠落してしまう中で育った子供たちが増えている。
子供たちの道徳性の発達を科学的な観点で見てみると、共感性や恥、罪悪感などが発達するタイミングは2歳の終わりから3歳の初め頃と言われている。つまり、この時期にどう関わるかが大事になってくる。いじめは人間として許されない行為だと100万回教えられても、いじめは無くならない。頭で分かっても子供は変わらない。
大阪大学で行われた5~6歳児の調査によると、他の子供に対して親切を行った幼児は、周りでそれを見ていた幼児から好ましく思われ、自分も親切にされるようになった。親切な行動から与えることによって与えられるという互恵関係を経験する。さらに親切な行動を見ると心がうれしくなって、親切な行動をするようになる。利他行動や他者理解というのは、知的な理解でなく共感による実感であり、これが一番大事な道徳の根幹だと最近の「共感脳」や「道徳脳」の研究で分かってきた。
保育士たちに行われたアンケート調査によると、子供たちの中で対人関係処理能力と自己制御能力が発達しなくなったと分析していた。対人関係処理能力の土台は共感性であり、気持ちが分からなければ人とは付き合えない。自己制御能力、自分を律するということは、壁となる他律によってしか自律はもたらされない。教育は他律によって自律から自立へ導く逆説的な営みだ。ならぬことはならぬ、という壁によって自分を律することができるようになり、自分を律することができる者のみが自立する。教育の目的は自立して一人で生きていけるようになることだ。
今、お父さんたちは友達親子になってしまい、壁になれない。困難を乗り越える力は壁にぶつかって、乗り越えることで育っていくものだ。最近、感銘を受けたのだが、フィギュアスケートの羽生結弦選手がインタビューで「困難を乗り越える力は、逆境に感謝する心にあることを、母から学んだ」と言っていた。何も言われずとも、お母さんの後ろ姿を見て学んでいたのが心に残った。
「親育ち」支援で一番重要なことは、親心が育っていない未熟な若い人に対して、まず無条件に寄り添い、弱さやもろさを丸ごと受け入れることだ。ただ寄り添うだけではだめで、ダライ・ラマ法王のように、その人自身が自分をしっかり見詰めて高みに上がっていくには、どういう研修が必要か考えていくべきだろう。
私は「『育自』から『育児』へ」と言っている。子供をどう育てるかという方法論の前に、まず自分自身をどう育てるかだ。中高生の頃から赤ちゃんと触れ合う機会をつくることも大切だろう。子供を生んだら親になるのではない。「親になる」ということについて学んでいく「親になるための学び」が大事だ。