石川県かほく市の県西田幾多郎記念哲学館が注目
西田幾多郎の思考過程をたどる、未発表の貴重な資料
「善の研究」で知られる世界的な哲学者・西田幾多郎(1870~1945)=石川県かほく市(旧石川県河北郡宇ノ気村)出身=の未発表の資料が見つかり、思考過程をたどる上で今後の解明が注目されている。新たに見つかったのは講義用の直筆ノート50冊をはじめ、大量の考察メモ、リポート類などで、西田の遺族が2015年秋、都内の自宅倉庫を整理した際に見つけた。(日下一彦)
未公開のノート50冊や多数のメモ類などを発見
資料は湿気による損傷が激しく、寄贈を受けた県西田幾多郎記念哲学館(同かほく市)では、奈良文化財研究所などの協力を得て汚れを落とした後、写真撮影して電子データ化を進めている。これまでの調査で見つかった資料は、西田の著作や資料の集大成である『西田幾多郎全集』などに収録されておらず、「善の研究」を執筆後、思索を発展させた軌跡の分かる記述もあって、研究者にとっては全集発刊後に発見された「国内最大の資料群」(同館)という。
直筆のノートは「宗教学」や「倫理学」と題した京大での講義ノートなどで、「東大選科生時代」(1891~94年)が10冊、金沢の旧制四高教授などを務めた「金沢時代」(94~1909年)が13冊と推定されている。また、京大助教授や教授に就いた「京大時代」(1910年以降)は9冊とみられ、ほかの18冊は使用時期の確認に至っていない。1928年に京大教授を定年退職した前後に記された内容もあり、西田の数十年にわたる思索の軌跡が刻まれている。
今回の発見について、同館研究員の中嶋優太さんは「西田の若い頃の資料が出てきたとの印象です」と語る。西田は40歳で京大に移って、「善の研究」を出版して哲学者として有名になるが、「善の研究」の半分を構成しているのは、四高での倫理学講義ノートの草稿だった。「倫理学講義ノート」と「宗教学講義ノート」には、「善の研究」出版前に書かれたものもある。その一方で、京大に移った直後の講義のものもあり、西田が「善の研究」出版後、「どのようなことを考えたかを知る上でも貴重な資料」(中嶋さん)だ。
さらに西田と言えば「純粋経験」の哲学と言われるが、京大に移ってからはその言葉は使わなくなっていく。それがどうしてなのか、研究者の間で大きな謎だったが、今回見つかった「倫理学講義ノート」の中にはその言葉が含まれており、「過渡期だったのではないか、西田の思索の発展の跡が後付けられる」(同)という。
一方、「宗教学講義ノート」でも興味深い内容が見つかった。全集を編集したのは西田の弟子で宗教学者の久松真一だが、久松の「西田の宗教学講義記録」では、ドイツ語、英語の表記を読みやすくするため、すべて日本語になっている。そのため、研究者の間では、久松が編集する以前の直筆の講義ノートはどのようになっていたのか関心が高かったが、今回見比べてみると、西田の講義ノートはドイツ語と英語が非常に多く使われ、しかもいろいろな思想家の引用もたくさん入っていた。その結果、久松の翻訳では引用文だったはずの箇所が、西田自身の文と変わらなくなっていた。それが今回の発見で明確に分かった。
中嶋さんは「もっと立体的に西田の思想の背景が分かるようになってきた」と説明し、「西田は独自な思想家と言われるが、その裏で、古典や最新の論文を貪欲に吸収しながら、その中で自分の立場を考えていた」と分析している。同館では、2年後に西田生誕150年を迎えるが、それまでに何らかの形で公開したいという。