教育委員会制度改革は両刃の剣 北海道師範塾「教師の道」塾頭 吉田洋一氏に聞く
教育改革
政府は今月4日、教育委員会の制度改革を目指す地方教育行政法の改正案を閣議決定した。これは教育長と教育委員長を一本化した新しい責任者を置くことや自治体の首長と教育委員会が方針などを協議する「総合教育会議」を新設することなどを新たに盛り込んでいるが、果たして同改正案は我が国の教育を改革し、活性化するのかどうか、元北海道教育長で現在、北海道師範塾「教師の道」の吉田洋一塾頭に、その是非を聞いた。(聞き手=札幌支局・湯朝 肇)
現行で活性化は可能/足りなかった本気度
国家百年の大計/政治に振り回される危惧も
――今回の教育委員会制度改革の背景には何があると思われますか。
直接的なきっかけは、2011年(平成23年)10月、滋賀県大津市で起こった中学2年生のいじめ自殺事件に対する教育委員会と学校側の対応の拙(まず)さと、それに対する国民の憤りや不信感が増幅し、それが教育委員会制度の見直しに発展していったと言える。もっとも、大津市事件の6年前の05年に、北海道滝川市で小学校6年生の女子児童がいじめを苦に自殺するという事件があった。これは全国的な問題となり、文部科学省はこれを契機に「いじめ」や「自殺」の定義を明確にし、教育関係者はしっかりと対応しなければならないと指示していた。
にもかかわらず、大津市の対応を見ると教育委員会は機能していないという印象を与え、教育委員会制度そのものを変えなければならないという方向になったのだと思う。そういう意味では、非常に残念だ。
――今回、政府が打ち出した教育委員会制度改革案を見ると、責任の所在の明確化、あるいは総合教育会議の新設などかなり大胆になっている印象を受けますが。
どのような制度でも功罪はあるものだが、はっきりしていることは、新しい制度にする以上は、現行の制度よりも機能的で、教育が活性化することが求められる。ただ、私自身は、今回政府が出した改正案が、果たして期待するような成果を上げられるか懸念している。
確かに現在の教育委員会制度に対して、これまでにもさまざまな問題が起こり、それに対して制度そのものを変えなければならないという状況をつくり出してきた。学力の問題、体罰の問題などに対して教育委員会は機敏かつ適切に対応していないという指摘はあった。
特にいじめの問題にはなかなか核心に触れようとせず、教育委員会や学校は何をしているのか、という批判は大きい。それに対して教育関係者はまず、真摯(しんし)に反省しなければならない。そうした反省なくして、単に制度を見直すだけでいいはずはない。逆を言えば、制度を改革すれば、いじめの問題や学力の問題、不登校など学校を取り巻く問題がすべて解決するのか、ということだ。
私には山積する教育現場の難題に対して、新制度を導入するだけで問題が解決し教育が活性化するとは思えない。というのも、いじめ対策をはじめ学力向上などあらゆる教育の実践は、教育の現場を預かる人間のやる気、モチベーションと日頃の積み重ねがものをいうからだ。教育は結局、人の問題にかかっている。
――現在の教育委員会制度でも、改革はできるということでしょうか。
新制度を導入するに当たっては、教育に携わる人間が、本気になって対応しようとするときに、現行の制度では実現できないので、改善すべき点を挙げて、「新制度にしましょう」というのであれば新制度導入は理解できる。しかし、私は、現行制度の下でも「やる気」になれば教育の活性化は可能だ、と思っている。私に言わせれば、やる気になってこなかっただけじゃないか。やる気になって取り組むとする人が少なかった。学校現場でも教育行政でも本気度が足りなかった。そうした反省に立たなければ、改正案は単に制度の問題のすり替えに終わってしまいかねない。
――現行の教育委員会制度は、「機能不全に陥っている」、「形骸化している」といった声を聞きますが。
近年、教育長と教育委員長の間で責任の所在が曖昧だという意見はある。確かに見掛け上はそう見えるが、教育委員長と教育長は互いに対峙(たいじ)して、「権限がどちらにある」という存在ではない。教育委員長は教育委員会を代表するような存在。また、教育委員会は合議機関であるため、全ての責任は教育委員会にある。
従って、教育委員会が機能しないということは、委員会を支えるスタッフが機能していないということだ。
例えば、北海道教育委員会は月2回ほど開かれる。委員は非常勤なので機敏性に欠けるとも言えなくもないが、しかし、事務方を担当している教育長が教育委員会の委員の一人として参加しているので、実務は着実に進められる。
従って現在の制度でも実質的には教育長が教育行政のトップとして仕事を進めることができる。もちろん、意思決定機関は教育委員会なので教育長の独断で全てが決まるというものではないが、教育長にはほとんどの権限が付与されており、現行制度では事が進まないということはあり得ないと思っている。
そもそも現行の教育委員会制度に期待しているのは、民主的で開かれた教育を進めていくことだった。教育委員会の委員には市民感覚で教育行政や学校の在り方をチェックしていただいている。委員は教育の専門家ではない人もいるが、一市民として教育の在り方を提言していただくことも大切だという視点が制度の根幹にある。
また現在、教育長は事務方のトップでありながら教育委員会の委員の一人として参加し、フラットな立場で議論できる。そういう身では教育長の権限は強くなっており、やる気さえあればさまざまな教育改革を打ち出すことは可能だ。
――政府が改正案で教育長が教育委員会の委員長を兼務し、さらに首長の直属の機関として「総合教育会議」を新設するとしていますが。
教育長が教育委員長を兼ねるということは完全な権限を持つということだ。現行制度でも教育委員会の中では教育長の権限は極めて大きい。ただ、改正案では事務方のトップの教育長が教育委員長でもあることから、教育委員会は単に意見を言うだけの機関となり、形骸化する可能性が強い。
一方、首長の下に総合教育会議が新設される。ここが実質的に教育行政に対して最終的な権限を持ち、影響力を行使する場になるのだろう。新制度では責任の所在が明確になり、首長の下で迅速な対応ができるというメリットはあるかもしれない。その一方で、教育が政治に振り回されるという危険性もある。
例えば、教育現場では一部とはいえ、いまだに国旗掲揚、国歌斉唱が問題となっている。入学式や卒業式などは厳粛な雰囲気の中で国旗掲揚、国歌斉唱を行うことは学習指導要領でも義務付けられているが、いまだ反対する勢力もある。仮に「国歌国旗は必要ない」という思想の持ち主が首長に就任した場合、一体どうなるのだろう。
地方自治体の首長は大統領制を取っており、非常に大きな権限を有しているだけに、首長の方針一つで教育行政がコロコロと変わる可能性もある。教育は国家百年の大計というが、政府が打ち出す改正案は教育に政治が介入しやすくなるという点で、危惧の念を禁じ得ない。そういう意味で教育委員会制度改革は両刃(もろは)の剣とも言える。