改憲へ匍匐前進・安倍自民党
鍵は二階氏の公明「折伏」
天皇陛下の御即位を内外に知らしめる「即位礼正殿の儀」が厳かに執り行われた。雨中で始まった式典の途中で虹が出るという吉兆も現れた。目出度(めでた)いことである。皇室の弥栄(いやさか)を祈りたい。歴史を繙(ひもと)くと400年前に起きた「大坂夏の陣」(1615年)は日本の転換点だった。関ケ原の戦い、大坂冬の陣に勝って天下を事実上握った徳川家康が大坂城の濠(ほり)を埋め、豊臣政権に止(とど)めを刺した大戦だった。
クライマックスが大坂方の智将・真田信繁(幸村)が大軍を率いて攻める家康の本陣に奇襲をかけ、あわや家康の御首級を上げる寸前まで追い込んだ時だった。家康の旗本群は総崩れになり、家康が「俺は死ぬ、俺は死ぬ」と口走ったほどだった。
その50年前には甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信との川中島の戦いがあった。5回にわたる戦いの4回目、両雄は妻女山で相まみえる。床机に腰掛けている信玄に、馬上の謙信が切り付ける、はっしと鉄の軍配で受け止める信玄。ともに大軍団を率いた合戦だったが、勝負は、総大将同士の「一騎打ち」に持ち込まれている。
永田町では自民党一強体制が続いている。率いる宰相・安倍晋三が類い稀(まれ)なリーダーシップを発揮していることもあろうが、民主党政権の挫折が国民に齎(もたら)した失望感がいかに深かったかを思わせる。「夢よもう一度」と野党は統一会派を組むが、上辺だけを繕っても政権を共有できるわけはない。
いま国政選6連覇を果たした安倍晋三の前に立ちはだかる高い壁が「憲法改正」である。憲法改正(自主憲法制定)は、自民党結党以来の党是である。なんとしてでもGHQ(連合国軍総司令部)の支配下で制定された現行憲法を改正したいというのが悲願である。だが、志ある鳩山一郎から岸信介、中曽根康弘という歴代の宰相の挑戦もむなしく、制定以来70年余にわたって一指も触れさせず「不磨の大典」と化している。
同じように第2次世界大戦に敗れたドイツが63回も憲法を改正し、フランスとともにEU(欧州連合)を率いているのに、日本は戦後、一貫して超大国アメリカの庇護(ひご)の下にある。ようやく宰相・安倍晋三の代になって悲願を果たそうという機運が盛り上がってきたのである。
憲法改正には①衆参各議院の総議員の3分の2以上の賛成で発議する②国民投票等で過半数の賛成―という厳しいハードル(憲法第96条)が存在している。国民投票になれば可とされる可能性があることを懼(おそ)れてか、憲法改正に反対する勢力は「発議」段階での阻止に躍起になっている。国民投票で「EU離脱」が大勢になっているのに議会が手を代え品を代え阻止しているイギリスと酷似している。イギリスが「国民投票」に示された民意を無視としているのに、日本は憲法改正の決定権を握っている国民投票さえさせない。
阻んでいるのは、突き詰めると連立のパートナー公明党である。慎重な態度を頑(かたく)なに貫いている。公明党抜きでは3分の2を超えられない。いつあるかもしれない解散・総選挙を考えれば強固な支持団体を擁する公明党の意向を無下(むげ)にはできない。
そこに公明党と太いパイプを持っていると自負する二階俊博(自民党幹事長)のレーゾン・デートル(存在理由)がある。宰相・安倍晋三は参院選後の自民党役員人事で二階俊博を幹事長に据え置く見返りに「憲法改正を頼みますよ」と念を押した。公明党を「折伏(しゃくぶく)」するように求めたのである。永田町のドンと呼ばれる二階俊博は、公明党や支持団体の実力者と「一騎打ち」し、政治生命を賭けて憲法改正の「発議」に持ち込んでほしい。
(文中敬称略)
(政治評論家)