「釦の掛け違い」の後遺症 安倍宰相、改憲へ克服成るか
永田町には「釦の掛け違い」という魔物が棲んでいるらしい。石橋湛山が岸信介を7票差で破って宰相に就任した自民党総裁選(1956年)、田中角栄が本命と目された福田赳夫を下した総裁選(72年)、初めて導入された党員投票で大平正芳が福田赳夫を凌いだ総裁選(78年)、ポスト小泉純一郎を争った麻(麻生太郎)垣(谷垣禎一)康(福田康夫)三(安倍晋三)で、最も若い安倍晋三が宰相の座を射止めた総裁選(2006年)などは、いずれも下馬評を覆した戦いと言われる。
結果は惨憺たる悲劇を招いている。石橋湛山は2カ月で病魔に倒れ、田中角栄は、その後尾を引くことになった「角福戦争」の泥沼に足を取られ、ロッキード事件で司直のお縄になった。大平正芳も福田赳夫の怨念に悩まされ、衆参ダブル選に活路を見いだそうとしたものの病魔に倒れ、敢え無い最期を遂げた。安倍晋三(第1次)は1年で退陣に追い込まれた。返り咲いた後は歴代宰相の在任記録を更新中である。政治にIFはないにしても、天馬空を行く活躍を見れば、何も慌てることもなかったと述懐する自民党長老もいる。
消費税についても、この魔物に魅入られた例だとされる。生真面目な宰相・大平正芳が、財政の先行きを憂慮して「一般消費税」という「苦い薬」を呑ませようとした途端、袋叩きに遭った。中曽根康弘の「売上税」構想も早々に引っ込めざるを得なかった。結局、国会対策に長けた竹下登が、予算の中に消費税を潜り込ませる奇策で実現させたものの早期退陣の憂き目に遭っている。その後も、消費税に触れた宇野宗佑、橋本龍太郎、さらには自民党一党支配を崩した細川護熙も「国民福祉税」構想を打ち出した途端に潰れた。死屍累々と言ってもよい。
憲法改正にも「釦の掛け違い」の魔の影が差している。鳩山一郎、岸信介、中曽根康弘が意欲を見せたが、いずれも挫折している。一人安倍晋三だけが戦前の桂太郎を凌ごうという長期政権を梃子に実現を目指している。それでも今度の参院選では、発議に要する「衆参各議院の総議員の3分の2以上」という高いハードルで躓いている。
永田町が衆参ダブル選の風評被害に翻弄されていた5月中旬、伝統あるシンクタンク「国策研究会(森章会長)」で公明党幹事長・斉藤鉄夫が講演した。瞠目されたのは「憲法改正」のくだりであった。当時の衆院憲法調査会(会長・中山太郎)では与野党の論客が和気藹々と議論を交わし①憲法改正はやらざるを得ない②「環境権」を付け加える――ことで合意していたのだそうである。うるさ型の枝野幸男、山尾志桜里らも加わっていたという。
暗転したのは宰相・安倍晋三が「(戦争放棄を規定している)憲法第9条」の改正を打ち出したせいだという。「合意はご破算」になった。枝野幸男(立憲民主党代表)が「安倍の手による憲法改正は許さない」と強硬姿勢を貫いているのは、こういう経緯があったのである。
宰相にしてみれば「9条の改正」こそが「一丁目一番地」(下村博文・自民党憲法改正推進本部長)であり、ここに一直線に切り込まなければ意味がないと血気に逸ったのだろう。あるいは、祖父・岸信介こそが改憲の旗手であり、その見果てぬ夢を孫の手で成し遂げたいという思いに駆られていたのかも知れない。
参院選後の記者会見(7月22日)で、宰相・安倍晋三は憲法第9条に自衛隊を明記することを含む自民党案について「囚われることなく柔軟な議論を行っていく」と語った。方向転換とも見える。その心は「環境権」にあるという読みもあるが、枝野幸男らの頑なな心を溶かすことが出来るのか。「釦の掛け違い」の後遺症を癒やせるのかどうか。
(文中敬称略)
(政治評論家)






