「トンネルの岸田」の真骨頂、信頼が厚く遠からず出番も

髙橋 利行

政治評論家 髙橋 利行

 いつものことながら参院選を控えた通常国会の会期末は荒れる。選挙を有利に運ぼうとする政党の思惑が激突するからである。それに刺激されるわけではあるまいが、熱い熱い全国高校野球が始まる。球児たちの純粋なプレーは、浮き世の憂さを洗い流してくれる。高校生離れしたスターが生まれるし、毎年のように悲嘆に暮れる場面も現出する。敗れたチームの選手たちが甲子園の土を持って帰る光景にも胸が熱くなる。

 何も甲子園に出場しなくても野球というものは若者の心に青春時代の思い出を深く刻み込む。遥か昔、開成高校野球部に「トンネルの岸田」と揶揄された選手がいた。強烈な打球が飛んで来る三塁やショートというホット・ポジションをカバーする二塁を守っていた。野球に詳しい仲間に尋ねると、一見易しいようだが、全体のプレーを眺めつつランナーを封殺したり守備陣へ指示を出す。細かく神経を使う難しいポジションだそうである。

 だが、この二塁手はセカンド・ゴロを必ずと言ってよいほど後逸したらしい。そのせいで勝てる試合を落としたこともあったのだろう。いま自民党政務調査会長を務め、宰相・安倍晋三の後継を窺う最右翼にいる岸田文雄その人である。外務大臣に就任した時に、野球部の仲間や友人がお祝いの会を開いた。皆が席に着いたのに肝心の主賓が見当たらない。そう、「外務大臣殿」は下座に正座していたのである。「トンネルの岸田でございます。その節は、野球でご迷惑をお掛けしました」。会場は沸きに沸いた。祖父、父と3代続く衆院議員という「華麗なる一族」でありながら驕り高ぶらない、謙虚である。

 自民党に「経理局」があり、「経理局長」もいると言うと驚く人が結構いる。カネに飽かせて巨大な権力を握るというパワーゲームが、保守合同(1955年)の結党以来展開されてきただけに「贅肉」も付いたに違いない。世間にはすっかりダーティーなイメージが染み付いてしまっている。だが、いくらカネにルーズな自民党と言えども、結党以来、経理局もあれば経理局長もいる。「どんぶり勘定」は許されない仕組みになっている。

 億単位の巨額なカネが出たり入ったりするのだから総裁や幹事長の信頼が厚くなければ勤まらないし、資金を拠出する経済界からも信用されていなければならない。まして、今では政党助成金として税金が注ぎ込まれている。重要性は高まっている。初代経理局長は自民党選挙制度調査会長を務める逢沢一郎の祖父・逢沢寛(元衆院議員)であった。その後も椎名悦三郎、前尾繁三郎、西村英一、村山達雄、伊東正義、福田康夫といった玄人好みの「うるさ型」が名を連ねている。

 とは言え、確かに地味な役どころである。その地味なポストに、何と親子2代で就いたのが岸田文武と岸田文雄である。岸田文武は、竹下登、宇野宗佑、海部俊樹、宮澤喜一の4代にわたる自民党総裁の下で「経理局長」を務めている。当人は、「そろそろ大臣適齢期だなぁ」と思っていたようだが、総裁としては安心して自民党の金庫を預けられる、「余人を以って代え難い」と手放さなかった。まさに大臣に手が届くところで世を去っている。後を日本長期信用銀行から親父の秘書に転じていた倅が継いだ。

 幸いにも岸田文雄は当選同期の宰相・安倍晋三と親しかったこともあり安倍政権で5年近く外務大臣を務めた。手堅く「外交の安倍」を補佐した。酒をあまり嗜まない宰相に代わって「いける口」の岸田文雄が杯を干したこともある。信頼は想像以上に厚いのである。政治や政策が機能するには国民の信頼が何よりも求められる。政界、経済界の信頼が厚い岸田文雄の出番はそう遠くないのだろう。

(文中敬称略)

(政治評論家)