私の友、師、目標 クラウトハマー氏
米コラムニスト マーク・ティーセン
コラム執筆で助言も
余命「数週間」を公表
何年か前、チャールズ・クラウトハマー氏とFOXニュースの控室で話をした。著名人が亡くなったというニュース速報がテレビで流れていた。その時、チャールズは、自分の時はこんな死に方がいいと話していた。
ナショナルズ・パークの野球の試合で七回表と裏の間の「セブンス・イニング・ストレッチ」に暗殺されるのが夢だと。以前も言っていたこの「私だけのパラダイス」で死ぬことを望んでいた。「薄暮の中、ポップコーンがはじけ、子供たちが走り回り、誰もが幸せを感じる」場所だ。
だが、運命はそれを許さなかった。チャールズは、あと数週間しか生きられないと発表した。胸が張り裂けそうな思いだ。だが、その発表文を書くことで、自身を愛し、尊敬する全員に素晴らしい贈り物をした。私たちにとってチャールズがどのような存在であり、どのように私たちに影響を及ぼしてきたかを伝える機会を与えてくれた。
◇心引き付ける講演
私は、ワシントン・ポスト紙に週に一度のコラムを執筆する機会を与えられた時に、チャールズに最初にアドバイスを求めた。
その時はまだ、チャールズがどのような人物かを知らなかった。ほとんどの人々同様、長い間、離れた場所でその作品を読み、尊敬していた。初めて会って話をしたのは2004年だった。まだ若く、国防総省のスピーチライターをしていた時だ。チャールズは、アメリカン・エンタープライズ研究所のアービング・クリストル賞を受賞し、講演した。チェイニー副大統領は、チャールズが、ウォルター・モンデール副大統領のスピーチライターをしていたと紹介、「モンデールの演説をもっとよく聞いておけばよかったと今になって思っている」と話していた。
チャールズの講演は人の心を引き付けるものだった。世界での米国の役割についてこれほどうまく語った講演を聞くのは初めてだった。
米帝国という考え方を否定し、「他人の領地に到着するとすぐに、出口戦略を立てたがる人々に、この言葉を当てはめるのはばかげている」と語った。ローマ、英国など過去の帝国とは違い、米国は、領土の獲得を目指していない。「ここが好きなんだ。マクドナルドが好きで、フットボールが好きで、ロックンロールが好きで、グランドキャニオンが好きで、グレースランドが好きなんだ。…何でもある。まだ足らないというなら、ラスベガスがある。そこにはあらゆるもののコピーがある。…中華、インド料理、イタリアンが食べたければ、フードコートがある」
チャールズは、米国は帝国ではなく、商業利益を目指す共和国であり「まったくの歴史の偶然によって、世界の体制の番人の役目を託された」と述べていた。その責務を果たすにはどうすればいいのだろうか。チャールズは、競合する外交派閥を体系的に分析、孤立主義は「恐怖の思想」、自由国際主義は「国益に反する」場合にだけ実力行使を支持し、「空想的な法律主義」を基に米国の力を封じ込め、現実主義は米国の力を信奉するが「ビジョンがないため失敗する」と酷評した。
◇丁寧で面白く親切
チャールズはこれらに代わるものとして、「歴史の駆動力を、権力への意志ではなく、自由への意志と考える」民主的現実主義というものを提示した。米国は「民主主義がすべての地に行きわたることを支持するが、血を流し、資金を投入するのは、戦略的な必要性がある場所だけだ」と主張する。言い換えれば、「それだけの価値がある所」に介入するということだ。ドイツと日本は重要だった。ソ連も重要だった。イスラム全体主義との戦いも重要だ。
その夜、分かったことがある。重要なのは、何を考えているかだけではなく、どのように考えたいかということだ。どのように書きたいかだ。チャールズのようになりたいと思った。
数年後、ワシントン・ポストのコラムの件でアドバイスを求めると、チャールズは私をオフィスに招いてくれた。とうとう実際に会えると思うとわくわくした。思っていた通りの人だった。丁寧で、面白く、親切だった。どのような手順でコラムを書いているかを教えてくれた。
構想をどのように練り上げ、書き、書き直し、完成させるかを教えてくれた。最後のアドバイスはこんなものだった。「いつか、週に2本コラムを書くよう求められるが、承諾してはいけない。いいコラムを週に2本書くことは誰にもできない」。私はこのアドバイスに従った。だが、それも今年に入って変わった。(チャールズ、申し訳ない)
その後の数年間、FOXニュースの番組が始まるまでの長い時間、保守的思想やトランプ大統領の台頭まであらゆることについて話し合う恵みに浴した。チャールズは非常に聡明で、議論に没頭し、下調べをほとんど必要としなかった。ある日、きょうのテーマは何かと聞くと「分からない」と即答した。私はというと、何時間もかけて準備しても、チャールズの半分のこともできなかった。それは今も変わらない。実際に会う前から、チャールズは私の目標だった。それはこれからも変わらない。
(6月13日)






