世界に逆行する学術会議
日本学術会議の検討委員会は3月7日、科学者は軍事的な研究を行わないとする過去2回の声明(昭和25年・42年)を「継承する」とした新たな声明案をまとめた。4月の同会議総会で正式決定される見通し(産経新聞3月8日付)だ。
一方、海外では軍事技術と民生技術を区別することなく研究が活発に行われており、今回の声明案は、世界の動きに逆行するものだ。
日本の科学者が大東亜戦争に関与した反省から「戦争目的の研究は行わない」というのが同会議の見解だが、戦前の軍事技術が戦後日本のモノづくりの基礎となり、産業復興と経済的な繁栄に大きく貢献してきた事実までをも否定するのか。
ここで、戦艦「大和」の建造で培われた数々の技術が戦後どのように利用され、発展したかを紹介したい。¥外字(90cd)「大和」は、巨大な排水量に比べて全長が短く、幅が大きかったため、艦首の水線下に球状の突起(球状艦首「バルバスバウ」)を付けることで、速力27ノットを実現させ、造波抵抗を8%以上減らし、航続距離の増大と有効馬力の節約ができた。
現在、この球状艦首は、小型の漁船から載貨重量50万¥外字(93d3)級の大型タンカーまで幅広く利用されている。¥外字(90ce)目標までの距離を測る「大和」の15メートル測距儀は、2組の上下像合致式とステレオ式の3連装式で構成され、目標を正確に測距できた。この技術は、戦後、カメラなどの精密光学機器に大きな影響を与え、日本の精密光学機器産業は世界トップクラスへと成長した。¥外字(90cf)呉式2号5型射出機(水上偵察機を艦上から発射するための火薬発射式カタパルト)は、「大和」を含め日本海軍のほとんどの戦艦・巡洋艦にも装備されていた。この発射技術は、後に新幹線の台車部分に応用され、高速走行時の揺れを和らげる走りを生み出した。
このほかにも「大和」の技術は、あらゆる分野に利用されている。「大和」に限らず、軍事技術が戦後の日本人の生活を豊かにしてきたことを、同会議の科学者はどのように考えているのか。是非とも聞かせてほしいものだ。
(濱口和久)