同性カップルの責任は?


 世田谷区が今年11月をめどに、同性カップルに結婚に準じる関係と認める公的書類を発行するという。今年4月、渋谷区が同性カップルに結婚に相当する証明書を発行する条例を施行しており、これから他の自治体にも広がりそうな趨勢(すうせい)だ。

 同性愛カップルが一緒に住もうと思っても不動産屋に断られるとか、相手が入院した時に家族でないので面会できないなどの差別をなくすための措置だというが、どうして同性婚の認定でないといけないのか。そもそも「同性婚」とは何なのか、分かりにくい。

 通常の男女の結婚は自治体に届け出て新しい戸籍をつくり、行政的な保護や優遇を受ける半面、夫婦は少なくとも互いに①配偶者だけを愛する②金銭的に相互保証する―法的責任を持つようになる。つまり、配偶者以外との恋愛は不倫となり、離婚訴訟などを通して莫大(ばくだい)な経済的不利益を被るようになり得るし、配偶者が破産したり契約不履行になると自分も賠償する責任が生じるわけだ。また、男女の結婚は二人の血統を受け継いだ新しい命を産んで育てる共同作業を行うという願いと決意が前提となる。

 このような重大な責任を負う決心がつかなければ、好きな人間同士が一緒に住むだけの同棲にとどまるだろうし、婚姻制度に伴う義務や責任に拘束されたくなければ「事実婚」として自分の負担できる範囲でそれをこなすことも可能だろう。

 さて、敢(あ)えて同性婚という以上、同性愛のパートナーは互いに男女の結婚と同じような法的な責任や義務を担う覚悟ができているのだろうか。さらには、どうしても男女の結婚に及ばない宿命がある。それは、二人の血統を受け継いだ新しい命を生み出して育てていく責任と義務は、最初から果たせないという点だ。

 夫婦と同性カップルの関係にはこれほど大きな違いがあるのに、なぜ同性婚という発想が生まれるのか、不思議でならない。(武)