国民の命守った自衛官
防衛大学校の卒業式が3月22日、安倍晋三首相を迎えて行われ、本科58期生448人が小原台を巣立った。
安倍首相は訓示の中で、平成11年11月22日午後、埼玉県狭山市の入間川河川敷に航空自衛隊入間基地所属のT33Aジェット練習機が墜落、乗っていた故中川尋史2等空佐、故門屋義廣3等空佐の2人の自衛官が即死した(殉職後、2階級特進)事故を取り上げた 。
この事故では、墜落する際に、練習機が高圧線を切断したため、東京・埼玉を中心に電力がストップし、約80万戸が最長で4時間にわたり停電した 。
そのため、信号機が停止したり、停電のために病院で手術が中断される騒ぎとなった 。
翌日の新聞各紙は、この停電による影響の大きさと、自衛隊批判を大々的に展開した 。
一方、練習機が墜落した場所は人気のない河川敷だった。人口の密集する市街地から離れていたことは不幸中の幸いだったが、これは単なる偶然や奇跡ではない。事故現場の現場検証によると、2人は飛行時間も多く、ベテランのパイロットであったにもかかわらず、緊急用の脱出パラシュートが開かずに亡くなったことが分かっている 。
脱出が間に合わなかったのは、市街地に被害をもたらすまいとして、ぎりぎりまで必死に機体を操縦していたからだと思われる 。
2人がもっと早く機体を捨てて脱出していれば、命は助かっていたかもしれない。このことは交信記録からも明らかだ 。
本来であれば、市街地に練習機が落ち、被害が甚大になることをくい止めた2人に対する敬意と冥福を祈る記事を掲載することが、新聞の使命であると思うのだが 。
新聞の自衛隊批判とは対照的に、安倍首相は訓示の中で、殉職した2人の自衛官を「最後の瞬間まで国民の命を守ろうとした」と讃えた 。
自衛隊の最高責任者である安倍首相のこの発言は、今年の卒業生に対する最高の「はなむけの言葉」になったに違いない。
(濱口和久)





