「民の竈」は賑わっているか?
求められる二兎を追う責務
永遠のマドンナ原節子や、枯れた芸で観客を魅了した笠智衆らを重用し、独自な映画世界を創り上げた小津安二郎を知らない人はいまい。日本が世界に誇る映画監督である。その小津安二郎に「大学は出たけれど」というサイレント映画(1929年公開)がある。「昭和恐慌」(1930~32年頃)直前の不況に直撃され、今でいう「就職氷河期」に翻弄(ほんろう)される学生たちの懊悩(おうのう)をコミカルに描いた作品である。
「昭和恐慌」はアメリカから襲来してきた。1929年10月24日、ニューヨーク株式市場が大暴落した。所謂(いわゆる)「暗黒の木曜日」である。第1次世界大戦の戦場にならなかったアメリカは株式バブルに沸いていた。アメリカとの貿易に依存していた日本は、女性のストッキング用の絹糸を輸出、それで得たドルで工業化への脱皮を模索していた。
そのアメリカが大不況に陥った。日本は道連れになったのである。都市部では銀行や企業の休業、倒産が続出、大量の失業者が生まれた。当時、働き手の半数を占めていた農村ではさらに悲惨で、路頭に迷い、餓死、一家心中した人は数知れない。大恐慌が終息した1934年に秋田県が明らかにした「娘の身売り実態調査」によると、酌婦、女工、売春婦などに売られた数は1万1182人(前年は4417人)に上ったそうである。
こういう窮状に農村出身の青年将校たちが政治家や財閥に憤り五・一五事件(1932年)を引き起こした。最近では大阪府知事の吉村洋文がリーマンショック時(2008年)には、日本国内で困窮による自殺者が約9000人に上ったと語っているが、コロナ禍の最中にも、東京・練馬でとんかつ店の経営者が火事で亡くなった。報道によると、経営難を悲観した「焼身自殺」の可能性もあるらしい。
何事もなければ青葉繁(しげ)る並木道は、初夏を思わせる日差しを遮り、爽やかで涼しい木陰を齎(もたら)してくれる。木漏れ日も風情がある。路面に映る影さえ美しい。だが、そこに首吊(つ)り死体がぶら下がっていたらどうだろうか。それも何体も。道端に行き倒れ死体が転がって放置されていたらどうだろうか。応仁の乱の話ではない。わずか1世紀前、この国で起きた凄惨(せいさん)な現実である。
人間として生を受けたからには、いずれは死ぬ。とはいえ、いかに生き、どういう形で幕を下ろすかは、その人の尊厳にも関わる重大事である。運が悪ければ阪神淡路大震災(1995年)や東日本大震災(2011年)のような大災害で命を失うこともある。地下鉄サリン事件(1995年)のような犯罪の巻き添えを食うこともある。自動車事故や航空機事故で命を落とすこともあるだろう。人生100年時代になったとはいえ、癌(がん)や心臓疾患などの病気で亡くなる人は多い。
地球上で猖獗(しょうけつ)を極めている新型コロナウイルスで多くの人命が失われ、なお危機に晒(さら)されている。日本も、その累を免れない。繁栄を謳歌(おうか)していたはずの日本経済も瀕死(ひんし)の重体の体である。あと1カ月も、これが続いたら、とんでもない事態になりかねない。日本銀行も、あの「大恐慌」の再来を懸念している。
宰相・安倍晋三が「緊急事態宣言」の解除を一日でも早くと急ぐのは、すでに100歳前後になっている往時の若者たちのひもじさや恐怖体験に突き上げられているだけでない。なんとしてでも経済破綻を回避しなければならないという思いに駆られているのである。コロナ禍で一命を落とすのも、飢えて死ぬのも、世界に名だたる経済大国の沽券(こけん)に関わる。福祉大国の名が廃る。
日本書紀に拠(よ)れば、5世紀前半、聖帝と崇(あが)められた仁徳天皇は、高殿に登り、眼下に見える「民の竈(かまど)」から飯を炊く煙が出ているかどうかで民の困窮ぶりを推し量った。ある時、竈から煙が立っていなかった。天皇は、直ちに「課役免除」を断行し、あらゆる手を尽くして、3年後、繁栄を取り戻した。この逸話は「民の竈」から煙がたち上ることこそ政治の最大の使命であることを伝えている。太古よりはるかに複雑な現代を担う宰相にはコロナ退治と窮乏からの脱却という「二兎」を追う重い責務が求められている。
(文中敬称略)
(政治評論家)