パンチェン・ラマとは

チベット仏教ナンバー2

拓殖大学国際日本文化研究所教授 ペマ・ギャルポ氏

米国務長官、居場所の公表要求

 ポンペオ米国務長官は18日、25年前にチベット仏教第2の高位者パンチェン・ラマに認定され、その後間もなく中国政府によって拘束された男性の居場所を「直ちに」公表するよう中国に要求した。米国が中国に切ったチベットカードのパンチェン・ラマとは、どういう存在なのか拓殖大学国際日本文化研究所教授のぺマ・ギャルポ氏が語った。

25年前に中国当局が拘束
支配続行へ影武者用意も

 ポンペオ氏は、「チベット仏教徒は、他のあらゆる宗教団体の信徒らと同様、政府に干渉されることなくその伝統に従って宗教的指導者を選出、教育、崇拝できなければならない」「パンチェン・ラマの居場所を直ちに公表するよう中華人民共和国政府に求める」と述べた。

パンチェン・ラマ10世(中央)

1980年代に訪日したパンチェン・ラマ10世(中央)と会合を持ったペマ・ギャルポ氏(左)

 米国はある時期までは、意識的にチベット問題に関わってきたものの、今回は本気度が高い。

 今まで議会が決議しても、いつも政府が同調するわけではなかった。だが今回は、ポンペオ氏は自らの言葉で発言している。

 ポンペオ氏が言及したパンチェン・ラマとは、どういう存在なのか。

 ノーベル平和賞受賞者で、亡命中のチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世は1995年5月14日、当時6歳だったゲンドゥン・チューキ・ニマ氏をパンチェン・ラマの生まれ変わりと認定した経緯がある。

 悲劇はその直後の3日後に起き、パンチェン・ラマとその家族は中国当局によって拘束され、以来、一度も姿が確認されていない。人権団体はパンチェン・ラマが「世界最年少の政治犯」になったとして、中国政府を非難している。

 そして、中国は別の少年、ギャンツェン・ノルブ氏をパンチェン・ラマに指名する。中国が独自に指名したこのパンチェン・ラマは、厳格に行動を指示される中で公の場に何度か姿を現しているが、多くのチベット人はこの人物を正当なパンチェン・ラマとして認めていない。

 2人存在するパンチェン・ラマのうち、ポンペオ氏が、その行方を明らかにするよう中国に求めているのは、ダライ・ラマが認定し拉致された方だ。

 中国外務省スポークスマンは、ポンペオ氏の要求に反発し「内政干渉するな。ニマ氏は大学を卒業し、普通に就職して働いている」と述べている。

 これから中国は影武者を出してくるかもしれない。その意味ではニマ氏本人かどうか検証できなければ意味がない。

 中国のチベットへの軍事侵略と大弾圧は、1959年にチベット動乱と呼ばれる大々的な暴動を引き起こした。中国政府は9万人近い僧侶らを虐殺、ダライ・ラマは、インドに亡命した。すると、中国政府は、パンチェン・ラマをチベット仏教の次の指導者として立てようと画策した。彼らはパンチェン・ラマ10世のチューキ・ギャルツェン氏をラジオ局に連行し、ダライ・ラマを誹謗(ひぼう)させ、代わりにチベット仏教の指導者になることを宣言させようとしたのだ。

 しかし、マイクの前に立ったパンチェン・ラマ10世は当時21歳。彼は大きく息を吸って一気に語った。

 「私は、一日も早く、ダライ・ラマ法王が黄金の座に戻ることを期待します」

 この言葉は、全チベット人の思いを反映したものだったに違いない。

 ところが中国共産党は、パンチェン・ラマをダライ・ラマの後継者にすると決めた。これはチベット仏教を根底から覆すものだ。

 パンチェン・ラマのパンはパンリッタ、大学者という意味で、チェンは大きいとの意味だ。つまり、パンチェンは大大学者という意味だ。パンチェン・ラマはチベット仏教第2の高位者ではあるが、必ずしもダライ・ラマ法王の後継者の位置付けではない。パンチェン・ラマは、ダライ・ラマの教師ではあっても、ダライ・ラマの代行者とはなり得ない。

 さて、ラジオ放送で中国共産党の指示に逆らったパンチェン・ラマ10世はどうなったか。彼はその後、逮捕され刑務所に収監され、10年間をそこで過ごしている。

 鄧小平の時代になって、独立以外は何でも話しあう用意があるとして、収監から解かれたパンチェン・ラマ10世は、日本も訪問したことがある。

 その際には直接、会う機会があったが、ラマ10世からチベットを守りぬく覚悟を感じ取れたのはチベット人に残してくれた遺産だと思っている。

 しかし、中国当局の厳しい監視は続き、彼は最後の声を発している。

 「われわれは中国支配の中で得たものより、はるかに多くを失った」

 1989年の同声明の3日後、彼は51歳で息を引き取っている。先述したニマ少年は、10世の死の後に生まれた男子だった。

 さて、中国は次のダライ・ラマを自分の手で出そうとしている。それを何とか阻止しないといけない。少なくても世界は、それに加担しないでほしい。(談)