ノーベル賞受賞教授の行動経済学を新しい経済学として紹介する2誌

◆従来は合理性が前提

 今年10月9日、スウェーデン王立アカデミーは2017年のノーベル経済学賞にシカゴ大学のリチャード・セイラー教授に授与することを決定した。セイラー教授の受賞理由は行動経済学の理論的発展に貢献したことだという。そもそも経済学賞はノーベル賞の中でも最後に設立された賞。スウェーデン国立銀行が1968年にノーベル財団への働き掛けによって設けられ、賞金もノーベル財団ではなく同銀行から支払われる。

 そのノーベル経済学賞を受賞したセイラー教授の提唱する行動経済学に対して週刊エコノミスト(12月12日号)と週刊東洋経済(11月25日号)が特集を組んだ。エコノミストのタイトルは「すぐに使える新経済学」そして、東洋経済は「人生に差がつく経済学」である。東洋経済からは見出しからは行動経済学というイメージはつかみにくいが、「世界に広がる経済学の魔法“ナッジ”って何だ?」といった見出しを見れば、行動経済学を取り扱っていることが分かる。というのも、「ナッジ(気づき、あるいは肘で軽く突く)」という言葉がセイラー教授が生み出した言葉であるからだ。

 ここで従来の経済学と行動経済学の違いを説明すると次のようになる。従来の経済学すなわち、主流派と呼ばれる経済学は、「人間は合理的な生き物だ」ということを前提に理論が構築されている。例えば、同じ品物ならば価格が安い方を消費者は購入する、また、同じような会社なら賃金が高い方に入社するというように、一般的に自己の利益や効用(満足度)を最大限に追求することを前提に理論を構築されている。

◆不合理な側面に焦点

 ところが、行動経済学は、「人間はそんなに合理的な生き物ではない」という所に焦点を当てて理論を構築していった。東洋経済は行動経済学について次のように説明する。「人間の行動を決めるバイアス(偏り)によってできる実際の経済社会を明らかにする。始祖はダニエル・カールマン氏とエイモス・ドベルスキーの2人の心理学者で79年にプロスペクト理論を発表。伝統的な経済学を根本から否定するのではなく、心理学などの成果を取り入れ(新しい経済学として)改良する取り組み」という。

 具体的には、「それほど通いもしないスポーツジムをやめられない」とか「ダイエットがなかなか難しい」。また、「膨大な赤字が出るプロジェクトを中止できない」といったように、経済合理性からは説明できないことが日常生活の中では数多くある。極論すればそうした不合理な側面に切り込んだのが行動経済学となる。エコノミストは、店頭の税抜きと税引き表示による売上高の比較を紹介した。それによると、「税抜き表示の方が売上げが上がった」という。消費者が支払う金額は同じなのに消費行動に差がある。心理学、脳医学的な側面から経済学を構築すれば、人生の営みや社会制度を運営する上で円滑かつ効果的に運営することができるというのである。

 エコノミストは行動経済学に対して、「身近で役立つ学問であると同時に、経済学そのものを内側から変える野心的な学問である」と結論付ける。問題は、果たして行動経済学は、これまでの経済学史の中で新時代を築くエポックになり得るであろうか、ということである。

 経済学という学問が生まれたのは今から240年ほど前。『国富論』(1776年)を表したアダム・スミスを最初にして、リカルド、ケネーといった人たちの古典派経済学が現れた。その後、生産価値・労働価値を唱えたマルクス経済学、それに対して消費の満足度に焦点を当てて理論構築した近代経済学、さらに恐慌を克服する理論として登場したケインズ経済学や1980年代以降の自由放任色の強い新古典派経済学などが生まれている。

◆金融資本主義は限界

 確かに、それらの経済学は、「人間は合理的に行動する」ことを前提に理論を構築し、それぞれの時代に支持されてきた。その一方で、世界を牽引(けんいん)する金融資本主義が限界に突き当たっているのも事実。自己の経済利益を極大化させることを唯一の行動基準として行動する「ホモエコノミクス」的人間観はもはや時代に適合しない。「低収入には感情的な苦痛が伴う。だが高収入で満足はできても、幸福は変えない」と指摘する学者もいる。行動経済学は、従来の経済学の限界と新しい経済学の指針を示していると言える。

(湯朝 肇)