反・脱原発をフォローする週刊金曜日が太陽光発電の不都合をリポート

◆「太陽光発電は汚い」

 実用的な再生可能エネルギーのトップランナーの一つである太陽光発電。発電ためのパネル設置という比較的小さい初期投資で済むことから、同業界へ参入する事業者も少なくない。ところが、施設の設置をめぐって、事業者と地元住民の間で深刻なトラブルが起きている。

 その1例が週刊金曜日(6月23日号)の「長野県 太陽光発電の建設止めるのは地域住民の結束」のリポート記事。

 「『あんな汚いものは見たくない』という声をずいぶん聞くようになった。野外に設置された太陽光発電のことである。森林伐採や農地転用などによって、ここかしこで続々と建設されてきたからだ」で始まり、「こうなったのは、FIT法(再生可能エネルギーの固定価格買取制度)が施行された2012年7月以降である」と続く。

 もともと太陽光発電事業には、参入への相対的な手軽さ、FIT法による利潤の確かさを見越す事業者の思惑があった。「長野県内でFITに認定された太陽光発電のうち出力10キロワット以上(ほとんどが野外設置)は、稼働中のものを含めて3万件近く、出力の合計は約1780メガワットにのぼる(16年12月末現在)」のである。

 太陽光発電施設の建設は見る間に増加し、野放しと言える状態。森林の切り崩しなどによる環境悪化は、急速に進んで看過できないものとなりつつある。「(長野県の)八ヶ岳南麓の富士見町では、水源林を伐採する24メガワットの計画があったが今年1月、事業者が撤退して中止となった。水道水や農業用水として利用している湧水への影響や水害の危険性から、下流の関係4地区が計画に不同意」だったからだ。

 そして「計画の問題点を周知する住民運動や古老が地区の全世帯を訪問して反対を訴えるなど、地域自治の力を示した」というのだ。同様な状況は同・原村、茅野市でも起きており、記事の中で、太陽光発電建設の阻止に口を極めている。

◆国家が担う電力問題

 太陽光発電の施設建設をめぐるトラブルは長野県だけでないが、当欄でこの記事を問題にするのは、一つには、このリポートが、従来、脱原発や反原発の支持者、団体をフォローし、シンパシーを込めて書かれた記事が多い週刊金曜日が取り上げているからだ。

 太陽光発電などの再生可能エネルギーが、原子力発電に代わる、時代の唯一善と見なす論調が頻繁になった契機は、2011年の福島第1原発事故だが、原発は危険だからダメ、これからは太陽光発電だ、風力発電だ、といった主張は、あまりにもナイーブであったことは、週刊金曜日の今回の記事がおのずと認めているところだ。

 エネルギー問題は、国家政策の柱の一つで、努めて国家が主体的に担う問題であり深慮遠謀、見通しの確かさが要るのだ。

 わが国は戦後、被爆者、永井隆医師の「原爆は決して許せない。このエネルギーを平和のために使わなければならない」「第2次大戦の愚を繰り返してはいけない。今後、科学技術によって自分たちで資源を得るんだ」という主張を入れ、昭和30年、原子力基本法が制定され、原発による発電がスタートした。永井の精神はその後、原子力の開発現場に引き継がれた。このことは、原爆の悲劇の中から立ち上がった日本人の力強さをよく物語っている。

 昭和40年頃からは環境汚染の問題が出て、「資源論の立場も大事だが、環境論が大事だ」ということが認識され、原子力の核燃料サイクルの確立が急がれた。

 日本は天然資源に乏しい国であり、科学技術先進国として生きざるを得ないという事実は今も変わらない。戦後、ずっと原子力の平和利用を進めていることへの矜持(きょうじ)を国民は失ってはならないように思う。

◆最良電源構成達成を

 といっても、エネルギーミックス(電源構成)は重要課題で、わが国は「長期エネルギー需給見通し」を決定した経済産業省の2030年の具体的数値の達成に向けて、全力を尽くさなければならない。

 固定価格買取制度の開始後、既に買取費用は約2・3兆円(賦課金は約1・8兆円。平均的な家庭で毎月675円)に達しており、再生可能エネルギーの導入と国民負担の抑制の両立を図るべく、コスト効率的な導入拡大が必要だ。

 週刊金曜日のリポートは、「山や森、田畑に養われる田舎の安穏な暮らしを壊す太陽光発電が明るい未来を開くことはない」と断じて、記事を締めているが、当たらずとも遠からずと言えよう。

(片上晴彦)