戦後70年エコノミストの経済特集は検証は妥当でも未来図を描けず

◆石油と為替の戦後史

 今年は戦後70年。経済誌で戦後70年を検証し特集を組んでいるのは、今のところ週刊エコノミスト(8月11、18日合併号)のみである。もっとも、特集といっても30㌻ほどで分量としては物足りず、過去の検証と同時に今後の30年を読み解くとしているが、未来の日本経済の姿という点については残念ながら描き切れているという印象はない。それでも戦後70年を経済的な面から検証するのは意義のあることだ。

 日本は戦後の荒廃期から復興を遂げ、高度経済成長を経て、2度にわたる石油ショック、その後プラザ合意による円高を乗り越えバブル経済に酔いしれた。しかし、その崩壊後の「失われた20年」と、その後遺症で苦しんでいるのが実情だ。エコノミストは、エネルギー面で石油と原発に焦点を当て、為替変動については、プラザ合意、さらに70年間の景気変動について分析した。

 確かに、日本は敗戦による荒野のような状態から米国に次ぐ世界第2位の経済大国にまでのし上がった。そういう意味では「奇跡の復興発展」を遂げたと言っていいだろうが、決して順風満帆ではなく国民の血の滲(にじ)む苦難があった。それは同誌の指摘の通り、資源のないわが国で、特にエネルギー面では石油に翻弄され、近年では2011年の東日本大震災による原発事故の処理で苦しんでいる。

 為替においても然(しか)りで、為替レートが1㌦=360円となったのは1949年のことだが、そのレートによる固定相場制が続くのは71年までで、以後、日本経済は為替レートの変動に翻弄されてきた。73年2月に日本が変動相場制に移行した後、度重なる円高の波が押し寄せる。日本の企業はその都度乗り越えていった。それでも円高基調はとどまることを知らず、東日本大震災の時でさえ、1㌦=75円32銭(同年11月)という値をつけた。日本経済はまさに為替に怯(おび)えながら動いていたといえる。

◆日本型経営を再評価

 同誌は70年間の為替変動を分析し、中でも日本経済を激変させたといって過言ではないプラザ合意について当時、大蔵省(現財務省)の財務官であった大場智満氏を登場させ、合意に至るまでの経過状況を説明させている。その成り行きを生々しく語っている点は面白い。「83年10月、米国のマクマナール財務副長官から電話があり、極秘でハワイに行ってボルカー連邦準備制度理事会(FRB)議長らとあって会談した」、「プラザ合意の声明文案を蔵相を差し置いてG5蔵相代理らが1日でつくった」など裏話を披露している。

 当時を振り返ってみれば、85年のプラザ合意によって為替レートが1㌦=260円台(85年初め)から150円台(87年初め)と円が2倍近く上昇し、日本経済は大混乱に陥った。いわゆる円高デフレが日本中を覆ったが、企業は合理化を進めながら日本はわずか数年で立ち直ったことを思い出す。確かに当時の日本企業には余裕があった。円高デフレに襲われている輸出関連の企業でさえも、「大丈夫ですよ」(大手鉄鋼会社の幹部)と笑顔で答えるほど。しかし、その後に続くバブル発生とその崩壊によって日本企業の長期のデフレに陥ることになる。

 そして、この長期デフレで変化したのが雇用形態である。それまでの日本的経営なるものが時代にそぐわないと、企業は成果・能力主義を掲げ、非正規雇用者の割合をさらに増やしていった。その結果、格差社会という歪みを生んでいる。

 ただ、同誌は、世界で今、かつての日本的経営が着目されていることを紹介。「社員重視による『長期的コミットメント(委託・委任)』という日本的経営のエッセンスは実は普遍性を持つ」(手塚貞治・日本総合研究所プリンシパル)として海外でも評価され、スタイルを変えながら進化しつつあると紹介。正論と言えよう。

◆政権批判でお茶濁す

 もっとも、戦後70年を概観するという点で同誌の特集は分かりやすいが、今後30年を読み解くという点でいえば、「安倍政権が進める安保法制は際限なき軍拡を招く危険がある」(柳澤協二・元内閣官房副長官補)、「『戦後レジームからの脱却』を掲げて迎えた安倍政権の行動は、その正反対に映る」(白井聡・京都精華大学専任講師)と現在の安倍政権批判に終始しているようで、その未来図は何とも経済誌のテーマとして物足りないのが残念であった。

(湯朝 肇)