中1男女殺害事件に社説で夜中徘徊を「冒険」と口にした毎日や東京

◆犯罪招く大人の思考

 冒険小説の先駆けとなったのは、英国の著作家ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』(1719年)とされる。19世紀には子供たちも引きつけ『宝島』や『十五少年漂流記』などが登場する。誰もが知っている物語だ。

 辞書によれば、冒険とは「危険を伴うことをあえてすること」とある。ただし単なる無謀ではない。本紙8月23日付に紹介された『探検と冒険の歴史大図鑑』(丸善出版)にあるように、冒険は準備万端、速戦即決で、恥辱的な撤退や致命的な失敗もある。動機はさまざまだが、何らかの目的があって果敢に挑戦する。それが冒険だ。

 言うまでもないが、夜間から未明に街を徘徊していた大阪・寝屋川市の中学1年男女生徒の行動は冒険ではない。目的も見られないし、そもそも危険に対する心構えがない。無防備だから、やすやすと魔の手に掛かった。そう思われてならない。

 ところが毎日社説は「中学生になると冒険心が生まれ親元を離れて行動したがるのはおかしくない」(23日付)と「冒険心」を持ち出す。東京社説も「子どもの夜遊びを推奨するつもりはないが、中学生が少し背伸びをし、冒険してみることは、大人になるための一里塚でもある」(24日付)と、「冒険」を口にする。

 確かに中学生ともなれば、冒険心も生じるが、徘徊と冒険は似て非なるものだ。真の冒険家なら、愚弄するなと怒り出すに違いない。それを毎日と東京はごちゃ混ぜにする。そんな無分別な大人の思考が犯罪を招いている。

 犯罪防止も大きく言えば安全保障だが、「9条」のお題目を唱えていれば平和が守られるかのように、ここでも「子供を守れ」と言うだけで具体的な抑止論がない。

◆妙な防犯カメラ批判

 朝日の天声人語は「前途ある命がまた魔手にかかり、ほぼ1年をへて繰り返すコラムに、悲しみと怒りが消えない」(25日付)と書く。「1年をへて」とは、昨年8月の神戸小1女児殺害事件を指すが、この1年、朝日は犯罪防止の提言のひとつでもしたのだろうか。否、ひとつだにない。

 ところが、朝日社説は「防ぐ手立てなかったか」(24日付)と、まことしやかに言う。冗談ではない、手立てはいくつかあるのに、それを拒んできたのは朝日にほかならない。防犯カメラがそうだ。

 今事件で犯人逮捕の決め手となったが、東京都が昨年、通学路への防犯カメラの設置を促すため都内の全小学校区に補助金を出すことを決めると、「カメラは脇役にすぎない。使い方を誤ればプライバシーを脅かす」(同4月25日付社説)と難癖をつけた。

 弁護士会は「監視カメラで監視されているということ自体が、監視される人のプライバシー権を侵害する」と言い、朝日などもこれに与してきた。今回も朝日社説は「犯罪抑止の面では役割を果たせなかったともいえる」と否定的だ。

 そうではあるまい。犯人逮捕で次の犯罪は確実に防げたから、抑止力の役割を果たしている。いつまで防犯カメラを忌み嫌うつもりなのか。

 東京もそうだ。前掲社説は、防犯カメラが犯罪捜査の力となると認めつつも、「残念ながら、防犯カメラが命を守ってくれるわけではない」と開き直り、逆に「防犯カメラがもたらすものは、安心感」で、それで不安を忘れさせ、「子どもたちの警戒心を薄れさせていないだろうか」と、まるで防犯カメラのせいで犯罪が起こったかのように書く。

◆「手立て」に法整備を

 今回の容疑者は再犯者だった。こうした猟奇殺人犯の再犯を防ぐには、米国のミーガン法のように児童への性犯罪歴のある人物の情報を公開し地域ぐるみで監視したり、フランスの累犯対策法のように性犯罪者に衛星利用測位システム(GPS)を備えた腕輪を装着させたりするなど、しかるべき手立てがある。

 これらは週刊誌やテレビで取り上げられているが、新聞は沈黙している。犯罪者の人権ばかりが重んじられ、被害者の人権は顧みられない。これでは犯罪者の人権天国だ。

 少年事件で冒険を口にしたり、「悲しみと怒りが消えない」と言うなら、孤島で劇的な回心を果たしたロビンソンのように、少しは勇気を出して法整備へ一歩踏み出すべきだ。それもできないなら、手立てなど言わぬことだ。

(増 記代司)