なぜ東トルキスタン独立を目指すのか

在米ウイグル人牧場主 ヌリ・ティプ氏に聞く

新疆大学長の兄に死刑判決

 中国新疆ウイグル自治区での強制収容所が人権問題として世界的な注目を集めている。中国政府は職業訓練所であり、語学学校と弁明するこの問題を、東トルキスタン独立をライフワークとして取り組んでいる在米ウイグル人牧場主ヌリ・ティプ氏に聞いた。
(聞き手=池永達夫)

ウイグル人抹殺図る中国
共産党の本質は嘘と暴力

新疆にいるお兄さんが死刑判決を受けたというのは本当か。

ヌリ・ティプ氏

 ヌリ・ティプ 1966年3月16日、イリ市生まれ。ウルムチの大学文学部卒業。東京外語大学留学。現在は妻子ともども米国籍、バージニアで牧場を経営。

 本当だ。私も当初、信じられず、そんなことがあるはずがないと思った。そもそも兄を死刑にする理由がない。兄はウルムチにある新疆大学学長をやっていた学者で、体制批判をやったこともない。ただ、ウイグル文化の本を書いただけだ。それも出版時、共産党の指導を受けつつ、そのルールを守った上でのことで何も罪はないはずだ。

 こうした中国共産党政権とも仲良く暮らさないといけないと思っている人たちでさえ、死刑判決を言い渡されている。

 兄は日本に留学して東京理科大学で人文地理学を勉強し卒業して、新彊に最初に帰ってきた人物だ。帰国後はタクラマカン砂漠を研究するなど、ウイグル地理学会の将来を託されていた。

 そもそも共産党政府は、こうしたウイグル人生え抜きの有名人が好きではない。

死刑判決の第一報はどこから。

 ラジオ・フリー・アジアの記者から10月初旬、「今、死刑判決が出た。死刑執行は2年後」と電話連絡を受けた。

ラジオ・フリー・アジアの情報源は。

 新疆政府からだ。フリー・アジアの記者は、常に現地に電話して情報を取る。役人情報だから機密情報のリークという性格のものではなく、公報的なものしか取れないが、それでもこうした第一報は、関係者にとってはシリアスなニュースだ。それを聞いてからずっと、夜も眠れず、病気になったみたいに痩せた。静かになったら頭がおかしくなりそうで、仕事ばかりして気を紛らわした。昔は酒を飲んで発散させたが、急に酒も飲めなくなった。

公報ということは、判決内容は親族には知らせるということか。

 そうだ。親族へは通知が来る。

親族へ連絡すれば、詳細が分かるのでは。

 普通の民主国家だったら、それができるが、監視国家の中国ではそうはいかない。

 何より電話が繋がらないし、たとえ繋がっても向こうの人が怖がって出ない。

世界ウイグル会議前総裁のラビア・カーディル氏とのインタビューでは、ウイグル人への有罪判決となる一つの理由が、外国人との接触と言っていたが、そういうことか。

 その通りだ。中国では憲法も法律もあって無きに等しい。政府のやりたい放題で、罪だって、その場でつくってしまう。

 アメリカには20年、住んでいる。みんな平等、金持ちの人と貧乏な人が酒場で一緒に飲める。法律をちゃんと守る。

 中国には法律はあるが、誰も守らないし、政府自体が守ろうとしない。

 共産党の本質は、嘘と暴力だ。嘘でごまかし、それでも効力がないとき、暴力行使を躊躇しない。

2年後の死刑執行というと、この間に猶予される可能性もあり得るのか。

 今の中国政府のウイグル人に対するやり方では、無理だと思う。

 中国の死刑判決には2種類ある。判決時点で執行するものと、執行時期をずらし、その間に猶予が出たら無期懲役とかになるケースだ。

 ただ、いちるの望みをつなぐために日本に来た。日本政府が何とか手を伸ばしてくれればありがたい。

みんなが騒げば、簡単には殺せない。

 兄は卒業後も理科大と交流しており、訪日も何回かしている。

 兄とは親友みたいな関係だった。ウイグルでは兄弟同士で酒を飲んだり、タバコを吸ったりしない。だけど、私たちは日本で一緒だったからよく、居酒屋に行き、2人で焼酎を空けたものだ。

お兄さんは最初、強制収容所に入れられたのか。

 中国ではそれなりの地位のある人物に対しては、ホテルか民家などへの出頭を求められる。双規と言って容疑者に対し、中央規律検査委員会が「決められた日時」と「決められた場所」で取り調べるシステムだ。

 それが3、4カ月前、逮捕されたと分かった。

 日本人は信じられないかもしれないが、中国政府の今の計画は、ウイグル人を地上から抹殺してしまおうというものだ。大学の休憩時間に、ウイグル人学生がウイグル語で喋ってもだめだ。

 ウイグル人はパーティーが好きだ。友人の家に行き、友人同士で騒いだり喋る。今は友達の家にも行けなくなっている。2人、3人で話していたら、お前ら何か企らんでいるのじゃないかと疑われるからだ。

 強制収用所はどんどん造っている。そして裁判に掛けて有罪にし、タクラマカン砂漠の中の刑務所などに入れている。

独立運動に身をささげようとした最大の理由は何か。

 歴史に関する本をいっぱい読んだ。それで独立運動に身をささげようと思った。

 東京外大留学時、常磐線で千葉に帰る際、橋を渡ると野球場が見えてくる。私はウイグルでバレーボールをやっていた。それも寒い雪の中、外のアスファルトの上で練習していた。それが、ここでは4人の日本人があれだけの電球を付けて練習している。

 これが自由だと心底、思った。何で私たちが独立しないのか。いつも、頭に想念がよぎった。

 私たちの国はウイグルだ。子供たちにも、そう教えている。

友人からはノリ・スシと呼ばれているということだが。

 日本料理が好きになって、寿司職人でもあったから、みんなから冗談でノリ・スシと呼ばれるようになった。いっぺんに覚えられ、名前の効用とすれば抜群だ。

日本料理の何に引き付けられたのか。

 板前の心構えというか、仕事に取り組む姿勢だ。店が終わると、きちっと洗ったり片づけたり、掃除を完璧にこなす。お客さんをだますこともしない。心からやっているというのが好きになった理由だ。