一筋縄ではいかぬ北非核化
莫大な経費と時間必要
KEDOの失敗繰り返すな
華々しく実施された米朝首脳会談から1カ月半が過ぎた。その後の進展は目立ったものはなく、政治ショーにすぎなかったのではないかという見方も有力である。今回は非核化交渉の困難性とわが国の取るべき態度について私見を披露したい。
非核化問題の前例として、1991年、ソ連崩壊後、核兵器が取り残された旧独立国家共同体(CIS)諸国のたどった非核化への道のりを見てみたい。核兵器が残された国はウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンであるが、最も大量の核兵器が残置されたのはウクライナであり、その状況を見てみたい。これら3カ国に残され、それぞれの国の保有物となった核兵器は、1000発を超える核弾頭、150基を超える大陸間弾道弾(ICBM)発射機、600発を超える核弾頭巡航ミサイル、そして地下サイロ等である。その数は極めて大きく今回の北朝鮮の比ではない。
94年、米露ウクライナは、核兵器の破棄について合意し、これによりウクライナの全ての核兵器は7年かけてロシアに搬入処置された。米国は残置された濃縮ウランを購入し発電用として再生、応分の対価を支払った。当時、ソ連崩壊による経済的混乱の中、数億ドルの補償、経済援助を行ったとされている。ウクライナの核放棄に対する列国の援助は、世界銀行、国際通貨基金(IMF)を主体に行われ、総額30億ドルに上るとみられている。
しかし、このような交渉は一筋縄ではいかないのが常識。ウクライナでは、核兵器は撤去されたものの、サイロの埋め戻し等ははかどらず、一部は残置された状況にあると言われている。このようにソ連崩壊という流れの中で、比較的整然と行われたように見える非核化交渉は、10年間という長い年月と莫大(ばくだい)な経費を要したことを学習すべきである。
比して北朝鮮の場合を見ると、旧CIS諸国と異なり、数段複雑である。旧ソ連との約定を踏みにじり、プルトニウム239抽出に適した「黒鉛減速型原子炉」を活用し、核弾頭の自力製造能力を保有していること、しかもこれには多数の関連工場を地下施設として保有していること、そして現に保有する核弾頭・弾道弾とこれらの格納施設、水中発射能力に関連した諸施設、指揮管理システムを含む諸施設等多岐多様であり、これらの破棄の方法を含めた工程表の作成は、莫大な作業を要するであろうことは、容易に推察できる。
そして最大の問題は、これらの作業に要する経費の問題である。北朝鮮はおそらく、ウクライナと桁の違う巨大な額を積み上げ、「安保理決議」をはじめとする国際的な要望を受け入れるのであるから、国際社会はその経費を分担すべきと主張するであろうことは想像に難くない。
ここで事実上失敗した朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)の状況を振り返りたい。KEDOは米韓日EU(欧州連合)が主要理事国となり、米朝枠組み合意に基づき、北朝鮮原子炉をプルトニウム抽出困難な軽水炉に置き換えるための国際機関で、北朝鮮合意の下、米国から年間50万トンの重油供与、軽水炉建設のための基礎工事等が開始された。軽水炉建設費用は韓国70%日本30%であった。ところが国際原子力機関(IAEA)の調査で、秘密裏に核開発を継続していることが判明。当時世界を揺るがせたイラク戦争・米国同時多発テロの混乱等もあり、本プロジェクトは、北朝鮮の裏切り行為として終結し、米韓日はそれぞれに損失を被った。
こうして見ると、北朝鮮の魂胆が少しずつ見えてくる。それは「将来の核放棄」という美名の下、国際感情を好転させ、厳しい経済封鎖の変化を図る。長丁場の交渉で時間を稼ぎ、核保有国としての実績を積み上げる。核放棄に要する莫大な費用を、関係国に負担要求し、拒否あるいは難航する場合、核放棄を取りやめ、その責任を関係国に転嫁する等さまざまな手練手管が考えられる。にもかかわらず米中韓の首脳は、その発言等から北朝鮮のペースに乗ってしまった感じがする。
わが国においても、一部国会議員の中には、北朝鮮のペースにはまり、イージスアショア対弾道弾防御システムの予算を凍結すべきだとか、日朝会談の準備を行うべきであるといった意見があるやに報道されているが、とんでもないことであると考えている。わが国としては、交渉の成り行きを冷静に判断しつつ、功を奏しつつある安保理決議に基づく経済封鎖を厳正に進めることが第一義であり、顕著な変化があった場合は、国際協調の下、新しい対応を協議すればよい。
原点を振り返って考えると、国際社会を欺き、その意に反して北朝鮮が進めてきた核開発であり、これを放棄するのは結構であるが、その費用はまず自助努力で行うのが道理である。米朝首脳会談に際しトランプ大統領が「米国は一切経費を支出することは無い。それは日韓が支出する」旨の発言をしたことが報ぜられたが、これもまたとんでもない暴言で、わが国としては冷静に、前のめりすることなく、今後の展開を独自の立場で分析していくべきであろう。KEDOで失敗したような甘い対応を二度と繰り返してはならない。
(すぎやま・しげる)