歪められた沖縄戦史、隠蔽された『鉄の暴風』の誤報
上原 正稔 (1)
「梅澤少佐の不明死」
人はよく「戦争とは醜いものだ」と言う。だが、筆者は、最も醜いはずの戦争に中に、最も美しい人間の物語を発見し、数々の沖縄戦の物語を伝えてきたが、現在につながる大切な物語の一つの終わりがまだ見えない。それは住民の“集団自殺”の真相だ。そもそも沖縄県慶良間諸島の「集団自決」が事の始まりだ。

うえはら・まさとし 1943年、沖縄県糸満市生まれ。ドキュメンタリー作家。83年に沖縄戦フィルムを買い取る「1フィート運動」を開始し、映像を通して沖縄戦を伝えた。その後、沖縄戦の連載を地元紙に執筆。2007年には連載「パンドラの箱を開ける時」を掲載拒否された件で琉球新報に勝訴した。主な著書に「沖縄戦トップシークレット」(沖縄タイムス)。
渡嘉敷島の第3戦隊長の赤松嘉次(よしつぐ)大尉と座間味島の第1戦隊長、梅澤裕(ゆたか)少佐の“玉砕命令”により「集団自決」が始まったとの風説は超ロングセラー『鉄の暴風』に起因する。
1950年8月15日、沖縄タイムス編集、朝日新聞出版の『鉄の暴風―現地人による沖縄戦記』を発行した。初版2万部は驚くべき数字だが、第2章「悲劇の離島・集団自決」の稿を除けば、今でも参考にすべき戦記だということも驚きだ。
この本によって赤松大尉と梅澤少佐は集団自決を命じた「極悪人」であることが「暴露」され、そのイメージが定着した。ところが70年、曽野綾子氏が赤松さんら第3戦隊の隊員らに取材し、現地調査を行い、『ある神話の背景』を著し、「赤松嘉次さんは集団自決を命じていない」と発表した。それでも、沖縄の人々が真実の言葉に耳を傾けることはなかった。
『鉄の暴風』によると、伊佐(後に大田に改名)良博氏が執筆した「集団自決」の稿の最後に、座間味について「米軍上陸の前日、軍は忠魂碑前の広場に住民を集め、玉砕を命じた」と記されている。「日本軍は最後まで山中の陣地にこもり、遂に全員投降、隊長梅澤少佐ごときは、のちに朝鮮人慰安婦らしきもの2人と不明死を遂げたことが判明した」と稿を閉じている。
ところが、この記述は現在市販されている『鉄の暴風』から見事に削除されている。なぜか。それは、70年4月、東京タワーでアメリカ人牧師を人質に取り、言いたい放題の暴言を吐き、マスコミの人気者になった沖縄生まれの富村順一氏が梅澤さんが生きていることを嗅ぎつけ、沖縄タイムス社に足を運び、それをネタにタイムスを脅迫して金銭を要求。まんまと50万円をせしめたからだ。これは有名な裏話だが、タイムスが語れない恥ずべき秘話となっている。
「梅澤少佐ごときは2人の慰安婦と共に不明死を遂げた」との記述とその隠蔽(いんぺい)工作はまさに名誉棄損そのものだ。