那覇軍港移設が焦点 12日に浦添市長選
政府と知事派の「代理戦争」に
任期満了に伴う浦添市長選が5日告示され、12日に投開票される。保守系現職と翁長雄志知事や革新政党が推す前市議の新人による一騎打ちとなった。那覇市にある米軍那覇港湾施設(那覇軍港)の浦添市内への移設が最大の焦点となる。軍港移設は、普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古沖への移設と並ぶ在日米軍再編の主要な柱だ。それだけに、政府与党と知事派による「代理戦争」の様相を呈している。(那覇支局・豊田 剛)
西海岸発展へ「移設」訴え 松本哲治氏
「容認」変えて「市民投票」 又吉健太郎氏
浦添市長選に立候補したのは、2期目を目指す現職の松本哲治氏(49)=自民、公明推薦、新人で元市議の又吉健太郎氏(42)の2人だ。松本氏は自公のほか、多くの経済団体が支援する。又吉氏は、知事を支える「オール沖縄会議」が擁立した。政党の推薦は得ないが、社民、共産、維新の支援を得ている。
那覇軍港の浦添移設について、松本氏は容認し、又吉氏は市民投票を行う考えを表明している。
松本氏の選対本部長を務める宮﨑政久衆院議員は、「軍港移設に伴う西海岸の発展は必要だ」と述べ、「難しい問題に直面しても、しっかりと道筋、考えを示すのが松本氏だ」と強調した。
一方の又吉陣営の赤嶺昇・選対本部長(県議)は、「今回の争点は『政治と公約』だ。オスプレイ配備撤回を訴えない現職には任せられない」と主張している。
那覇軍港の浦添移設は、普天間飛行場の名護市辺野古移設と同様に、公有水面埋め立てを伴う計画。埋め立て面積は約300㌶で、辺野古の埋立面積160㌶の約2倍。浦添の工事費用も約2倍と推計されている。
今後の浦添市の発展のカギを握るのは米軍キャンプ・キンザー(牧港補給庫)返還後の西海岸開発だ。
日米両政府は1974年、移設条件付きで那覇軍港を全面返還することで合意し、95年に浦添移設が決まった。01年には儀間光男市長(当時)が受け入れを表明。06年に日米が合意した在日米軍再編ロードマップでは、浦添市のキャンプ・キンザー沖合に移設されることが明記された。
翁長知事は辺野古移設阻止を主張する一方、那覇軍港の浦添移設は容認の立場を取っている。だが、この軍港移設をめぐって翁長氏は、4年前の浦添市長選を翻弄した経緯がある。当時、自公やリベラル系の「県民ネット」会派が儀間氏に対抗する候補を公募し、松本氏が選ばれた。ところが、当時、那覇市長の翁長氏らが画策し、市教育長の西原廣美氏を擁立。自民に加え、民主、社民、社会大衆が推薦する保革相乗りとなり、翁長氏が主唱する「オール沖縄」の原型ともなった。
儀間、西原、松本の三つどもえとなった選挙戦では、もともと軍港移設容認だった西原氏が、儀間氏との差別化を図るために「反対」を表明。すると、翁長氏が「那覇軍港返還と浦添移設とは切り離して考える」と言明したため、松本氏もこれに歩調を合わせるように、「『苦渋の選択』だった那覇軍港を受け入れる必要がなくなった」と容認から反対に転じたのである。
5日朝。再選を目指す松本氏は第一声で、「公約を取り下げたのはすべて理由がある。恥じることもやましいこともない。自信をもって私について来てほしい」と訴えた。
松本陣営は、「困難なことを覚悟を決めて解決するのが政治家の仕事だ。それを放棄している相手に敗れれば民主主義が負けることになる」と気を引き締める。自民党本部からも役員クラスが次々と応援に駆け付け、企業・団体を引き締めている。
「公約を一つ一つ実行していくことによって、市民の皆様から評価をいただいて初めて、多くの皆様からもう一度信頼してもらえる浦添市政をつくっていけると考えている」
又吉氏は第一声でこう述べたが、これまでの軍港移設容認の姿勢を変えて、選挙直前になって「市民投票」を打ち出したことについての説明はなかった。軍港移設で「翁長県政と連携する」という主張との整合性も取れていない。
さらに、「市民投票」を表明したのは、軍港移設とそれに伴う埋め立てに反対する革新団体の動き出しが悪かった事情がある。又吉氏は、共産、社民、労働組合など革新組織に対して移設阻止を示唆する一方、維新や企業相手には移設に期待を持たせている。
立候補者名簿
松 本 哲 治 (49) = 無 現 (自民、公明推薦)
又 吉 健太郎 (42) = 無 新