地球最後の植民地帝国・中国

300哲学者 小林 道憲

対外膨張策採る習政権

矛盾噴出、一党独裁終焉へ

 20世紀ももう遠くなりつつあるが、20世紀はコミュニズムの勃興と終焉(しゅうえん)の世紀でもあった。しかし、変質してではあるが、アジアの共産主義はまだ終焉していない。特に中国の動向が注目されるが、旧ソ連の歴史と並行させて考えてみたい。

 人類初の人工衛星の打ち上げにも成功した旧ソ連の第一書記、フルシチョフが、1961年の党大会で、「70年までにアメリカに追いつき追い越し、80年には共産主義の時代に入る」という空想的な綱領を採択したことがある。ところが、実際には、旧ソ連は、ブレジネフ時代の後半70年代に至って、アメリカを追い越すどころか、経済的にも社会的にも停滞していった。腐敗した党官僚による締め付けはますます強くなり、官僚組織に巣くう特権階級がはびこり、経済は停滞せざるを得なかった。国民総生産も急速に落ち込み、技術革新でも遅れを取り、産業は恐るべき非能率を露呈していった。衛生状態も悪化し、平均寿命も下がり、環境破壊も日増しに進行していった。さらに、アフガニスタン侵攻にも失敗し、膨大な軍事費が消費経済を圧迫して、社会不安は広がっていった。

 85年に登場してきたゴルバチョフが、グラスノスチ(情報公開)、ついでペレストロイカ(再編)政策を掲げ、改革に乗り出したのは、このようなブレジネフ時代の沈滞を打破しようとしてのことであった。しかし、これらの改革路線は時すでに遅く、高級官僚の特権に対する民衆の不満を煽(あお)り、消費財の不足への不満に拍車を掛けるだけであった。それは、一層の経済の混乱を招いた。

 そればかりか、この改革路線は、それまでソビエト体制によって押さえ込まれていた連邦内での民族問題を露呈し、バルト3国をはじめ、多くの民族国家の自立への要求が高まり、各共和国はこぞって主権宣言を行うに至った。さらに、それまでたびたびの弾圧にもかかわらず抵抗の姿勢を見せていた東欧諸国が、89年、ソ連軍の介入がないことを確認するや、次々と共産主義を捨て、民主化という名においてソ連から離反、民族自立に成功した。ゴルバチョフの改革路線は、その実を上げる前に、ソビエト体制の解体を招くことになったのである。かくて、91年ソビエト連邦そのものが解体し、一党独裁と国有制を基本とした社会主義体制は74年の幕を降ろした。共産主義国家の建設という20世紀の大実験は、このようにして、大いなる幻滅に終わったのである。

 なるほど、中国では、文化大革命の失敗を契機に、市場経済の導入と対外開放を進める改革開放路線が鄧小平によって敷かれ、中国は、政治改革を先行させたソ連とは違った道を歩んだ。そのため、中国共産主義は今なお存続している。それどころか、社会主義市場経済の推進によって、すでに日本を抜き、国内総生産(GDP)世界第2位に躍り出ている。鄧小平の改革開放政策が始まって以来、30余年になる。

 かくて、今日の習近平政権は、かつてのフルシチョフのように、「近い将来、中国はアメリカと世界を二分し、さらに中国が国際秩序の中心になる時代が訪れる」という「強い中国」の夢を宣言するようになった。アジアインフラ投資銀行(AIIB)の設立や、一帯一路(ユーラシアの大陸と海洋にまたがる経済圏)の構想、南シナ海、東シナ海、インド洋、アフリカへの進出など、一連の政策はその現れである。

 レーニンの帝国主義論によれば、資本主義が独占資本の段階に達し、この独占資本が市場を求めて海外に資本を投下しようとするところに帝国主義は成立し、これが列強の激しい進出をもたらしたという。しかし、この帝国主義論は共産主義にも成り立つのであって、今日の中国も、旧ソ連のように対外膨張という帝国主義的世界政策を採る段階にきているのである。

 しかし、現実の中国は、目下、資産バブル崩壊から過剰債務による経済崩壊の危機に面している。さらに、旧ソ連のブレジネフ時代にも似て、軍事費の膨張、汚職の蔓延、環境汚染、都市部と農村部の格差拡大、支配層と被支配層の格差拡大など、社会問題を抱え、矛盾が噴出している。この矛盾は民衆の不満を増大させ、政治的崩壊を招き、旧ソ連同様、中国共産党一党独裁の終焉に向かうかもしれない。中国共産党による一党独裁が瓦解すれば、内モンゴルや新疆ウイグル、チベットなどの各民族自治区の自決運動が出てきて、共産中国という地球上に最後に残った植民地帝国は崩壊していくことになるであろう。台湾はもちろん独立するであろう。強力な権力機構を持った全体主義国家も、その強力な権力機構の故に崩壊する時があるのである。

(こばやし・みちのり)