法秩序順守の文化ない中国、理解できる言葉は「力」
日米アジアが団結し圧力を
正義と真実は一つしかなく、そして現代国際社会においては、それを証明し真実を明確にするものは法律の専門家であることは言うまでもない。今回の南シナ海において中国が行っている挑発的かつ強引な海洋進出に対し、フィリピンがオランダ・ハーグに設置してある国際仲裁裁判所に訴訟を起こし、その判決が7月12日に下された。判決はフィリピンの全面的な勝訴となった。中国が一方的に南シナ海を自国の海洋領土であるとする根拠としての「九段線」には歴史的法的根拠が無いという全面否定をされた。低潮高地に建設している人工島を拠点とする管轄海域の主張も退けられた。それに対する中国の反応は大方の予想通り無効であるとして無視する姿勢を明確にし、その判決は紙くずに等しいと暴言を吐いている。
私は少年時代、毎晩のように中国が国連に加盟することを祈っていたことがある。それはかつて1959年、61年、65年の3度にわたって国連でチベット問題が取り上げられ、国連決議が採択された時に、当時中国は国連非加盟国であるというこじつけでこれを無視したことがある。そのため私は国連に中国が加盟すれば、中国は国連の加盟国として国際法を重視し、国際社会の一員として国連の決議と国際法律家委員会(ICJ)の「チベットにおける中国の組織的計画的大虐殺」という報告も効力を持つだろうと無知にも信じていたからである。
しかし残念ながらこの時の国際的な法律家の報告も国連の決議も中国には尊重する意思が全く無かった。従って今回の中国の態度は私にとってはある意味で予測でき、怒りも絶望感も無かった。正義と法秩序はそれを順守する対象、つまり人や団体、国がない限り、それこそ北京政府が言うように紙くずに等しいというのが今の国際社会の現実である。また法律や正義はそれを厳格に順守させる何らかの力が無ければ、法的執行力が無いのも残念ながら現実である。
日本をはじめ法治国家としての秩序が根付いている国やそのような社会に住んでいる人々にとっては認めがたい真実であるだろうが、私のような無法国家と半世紀以上も戦ってきている人間からすれば、そのような期待を持つこと自体、ある意味ではめでたい話に聞こえる。アメリカのオバマ大統領や日本国の安倍首相は国際法を尊重し、中国に現在の国力にふさわしい大国としての姿勢を求め、理論を持って問題の対処に努めていることには敬意を表するが、そのようなロジックと法に基づく対応は相手の文化には無いことを知るべきである。彼らが理解できる言葉は「力」のみであり、そして彼らの言う「力」の中には白を黒と言い続ける厚顔無恥な姿勢も含んでいる。
このたび7月15日からモンゴルのウランバートルで開催されたアジア欧州会議(ASEM)首脳会議でも、安倍首相と日本政府が正義と秩序の確保のため相当粘り強く頑張ったことは、アジアの小さい諸国間でも高い評価を受けている。特に日本も大国らしく水面下で積極的な多数派工作を展開したことで、アジアの平和と安全に対する日本の本気度が伝わったと言えるだろう。ただ残念ながら工作活動に関しては上手である中国の裏工作がそれなりの成果を見せ、直接利害の少ないヨーロッパの国々や中国の子分的なアジアの弱小国などの積極的な支持を得られず、結局最終的なコミュニケでは中国の国際法無視の姿勢を名指しで批判することはできなかった。
中国は安倍首相の言動と日本の積極的な地域の安全保障に対する役割を、逆に仲裁裁判所の黒幕であり、今回の裁判官たちも日本人によって選ばれた人たちで、裁判官としてもふさわしくないと言って、国内外に日本の不当な干渉を宣伝している。現在中国政府が推し進めている非合法的な南シナ海における活動はさらに強化され、拡大加速する姿勢が示されている。この中国の大中華帝国の夢と称する覇権行為を止めさせるには「力」で対応するしか無いと私は確信している。
そのためにはこの地域において巨大な力と同義的責任を持っているアメリカが、中国に対して国際法と国際秩序を守らせる強い意志を示すべきだ。それと同時に当事者のベトナム、フィリピンそしてアメリカと軍事協力関係を長く保ってきたタイやインドネシアなどが団結し、直接利害を持つもう一つのアジアの大国インドとの連帯を強化し、強い意志を表明することが必要である。
幸いにして安倍政権は遠方のモンゴルとも政府開発援助(ODA)や外交面のみならず、安全保障面においても協力する合意を確認している。中谷防衛大臣のインド訪問と日印間において安全保障の面でもさらに協力関係を強化していくという姿勢はアジアにとって歓迎すべきことである。日本のメディアも国民に対し、状況の変化を忠実に伝え、空想的あるいは願望的な世界平和よりも、現実的な平和構築が急務であることを伝えるべきである。