中国国防予算“抑制”の行方

茅原 郁生拓殖大学名誉教授 茅原 郁生

軍事と経済にジレンマ

習近平氏の軍権掌握度が鍵

 中国では、第13期全国人民代表大会(全人代)が北京で5日に開幕され、李克強首相による政府活動報告や2016年度の国家予算などの採決の外に第13次5カ年計画(13・5計画)も採択された。政府活動報告では15年の経済成長が目標の7%に届かない6・9%に終わった事実を認め、16年からの13・5中期計画では国内総生産(GDP)年間目標を6・5%に引き下げた。

 このような経済事情の中で、16年度の国防予算は9543億5400万元(約16兆7000億円)が計上された。前年実績比7・6%増と6年ぶりに1桁増に留まったことが話題を集めたが、本稿では国防予算「7・6%増額」の政治的な意味とそれを通じて習近平主席の党軍関係を探ってみたい。

 先立って中国国防費の経緯を整理しておこう。80年代には鄧小平主導で国防費が抑制されたが、対前年比で2桁の増額が始まったのは天安門事件後に江沢民がトップに就任した89年からであった。鄧小平のように革命戦争を戦い抜き、戦争にも政治にも通暁した第2世代までの指導者はその威厳で「党が鉄砲を指揮する」原則を維持できた。しかし、トップ指導者の世代交代が進む中で、江沢民以降の革命戦争への参戦歴も軍功もなく、カリスマ性の乏しい世代の指導者にとっては、組織上で上位に立っても解放軍を統率することは容易ではない。

 さらに、共産党独裁統治には「党の柱石」としての軍部の支持が不可欠となっており、これまで党軍関係の安定のために軍部の要求を受け入れて国防費増額を続けてきた。中国の国防費は89年以降25年にわたって2桁増が続き、その結果、今日の国防費は90年の30倍に、今世紀からでも7・3倍に増える異常さが目立っている。

 そこで習近平政権となって国防費がどう扱われるか、軍権掌握度を含めて注目されていた。習主席は太子党という革命元老の子弟で「紅2代」とされるエリートである。その利点を生かして軍歴を積み、また夫人は歌舞団長・少将であり軍との親和性があった。実際、習主席はトップに就任してから長老軍人を含む将軍たちの汚職腐敗を容赦なく摘発し、部隊には訓練の強化を指示するなど強い姿勢で指導してきた。

 その延長上で16年度国防予算は7・6%増に抑えてきたが、かつての鄧小平のように軍の反発を抑えきれるのか、習主席の軍権掌握の程度がわかってくる。実は胡錦濤時代の10年にも前年比7%増に抑えたことがあったが、翌11年からは2桁増に戻っていたからだ。

 今次の国防費1桁増への抑制は、長期的な国防費抑制の始まりになるのか、国内外の経済事情や汚職腐敗への綱紀引き締めなど一時的な対応措置なのか、二つのケースを探ってみたい。まず1桁増の抑制が続くとの見方には、2020年までに「小康(ゆとりある生活)社会の全面的な実現」の公約から国民の欲求を無視できず、経済建設が重視されるとすれば、国防費抑制は継続されていこう。

 実際、「13・5計画」では「第4項:調和の取れた発展を堅持し、バランスの取れた発展構造形成に力を入れる」の中で「経済建設と国防建設の融合した発展を推進する」「発展と安全保障の両立、富国と強軍の統一を堅持」など、経済建設との調和が謳われていた。さらに、中国の経済成長鈍化の深刻さから国防費を抑制せざるを得ない事情も見えてくる。

 現に中国経済は「中進国の罠(人件費の高騰が先進国への飛躍を妨げる)」に陥る中で、投資・輸出依存型の経済構造のままで内需拡大が進まない深刻な構造問題を抱えている。関連して大気汚染など環境破壊への対処や雇用の確保など国内課題が増えてくる中で、これまでのような国防費の聖域扱いは限界を迎えてきている。

 他方で、今次の国防費の抑制が、国際的な外圧などからの一時避難的な側面もあろう。上海株式市場での暴落が世界の株価下落の震源になっている現状から、先の上海G20会議でも中国は経済回復のための財政出動を促されており、当面の国防費の抑制姿勢を見せたとの見方で、事情の好転で再び増額は加速されよう。共産党統治が「党の柱石」である軍の支持に多くを依存している実態に変わりはないからである。

 さらに習政権は昨秋、最大規模の軍事改革を決定している。抑制された国防費で軍事改革の重点事業は達成できるのか、30万人の兵力削減だけでは賄いきれない経費の需要が国防費の急増につながろう。習主席主導の大規模軍事改革で大鉈を振るわれた軍が内部に澱む不満と反発を国防費の増額要求の圧力にすることも考えられる。

 見てきたように、中国の国防予算を巡っては経済建設政策と国防近代化政策との間の綱引きが続く中で増加率は模索されよう。その場合、習主席の軍権掌握度がポイントで、軍部の不満を抑え込めるか党軍関係の推移が注目される。

 ともあれ今年度の中国の国防予算の7・6%増はGDPの伸び6・9%を上回っており、国家財政の10%を越え、国際的には突出している。現に中国の国防費総額は米国に次ぐ規模となり、わが国の16年度の防衛費の3・2倍に及んでいる。中国が「力の信奉者」的な安保観に立って軍事力強化を進める姿勢に変わりなく、国防費の増減動向やその実態について、国防費の透明性も含めて注視していく必要がある。(敬称略)

(かやはら・いくお)