スー・チーさん これからが正念場
原理主義より柔軟性を
世界的に民主主義国が増えない中、ミャンマー総選挙で、アウン・サン・スー・チーさんの「国民民主連盟」(NLD)が超大勝した。スー・チーさんは通算15年も軟禁、投獄された苦難の末、とうとうここまで来た。
艱難(かんなん)辛苦が玉にするというが、彼女はさしずめ鋼鉄の玉だろう。1996年、最初の軟禁を解かれた後の彼女にインタビューした私は、こう記事に書いた。「ミャンマーの『鉄の女』は、困難の中、ますます強い『鋼鉄の女』になっていた」。その表現に込めた私の気持ちは、「感嘆」80%、「気がかり」20%だった。
私も民主化の外野席応援団だが、会見した感想は「厳しい人だなー」だった。
特に、欧米の経済制裁の横で、日本が細々と行っていた政府開発援助(ODA)への批判は、容赦なかった。「断固反対よ」「日本の援助がこの国の国民の利益になるなんて、おためごかしはやめて」。
日本による国立看護大学への援助を批判し、「関係者は、軍とコネのある特権族ばかり。学生たちも、将来国民のためより、金のため働くでしょう」とこき下ろした。経済利益追求への嫌悪感も感じられた。
翌日、私はその看護大学に行き、学生たちと話した。「多くは、本当に社会に尽くしたいと考えているようだ。スー・チーさんは冷たく決めつけすぎではないか」と思った。
スー・チーさんからは逆質問も浴びせられた。「日本は民主主義と違うの」「新聞人として、表現の自由がない事態になったら、幸せ?」。「幸せじゃないと思うから、ここであなたと話しているのですよ」と、こちらも少しむきになった。
「家族のミャンマー入国が困難なことは、気力に影響するか」と問うと、「影響なんかしてたまるものですか」。ピリオド。
「スー・チー原理主義」とでも呼びたくなった。その鋼鉄ぶりは、戒律や形式を重んじる小乗仏教の影響だろうか。
雑誌に会見記事が出た後、読者から「スー・チーさんには、もっと素直に質問しないと失礼だ」という批判電話がきた。これは「スー・チー応援団原理主義」だと思った。
99年3月、英国人の夫、マイケルさんががんで亡くなった。彼は死の直前、もう一回妻に会いたいとビザを申請し続けたのに、軍事政権に拒否された。メロドラマは嫌いと言い、家族に関する質問を嫌うスー・チーさんの反応が知りたくて、彼女の古い友人の日本人女性に聞いた。女性は「彼の死の翌日、英大使館の電話でスー・チーさんと話した。残された息子たちの話になった時、電話の向こうで泣いていた。25年来の付き合いで、彼女が泣くのを初めて聞いた」と打ち明けた。「でも、このことは今書かないでよ」。鋼鉄の女の弱さ、人間味を伝えないよう釘をさされた。これも原理主義的配慮だと思った。
その後、軍事政権との対話、妥協を模索したNLD党員たちを、鋼鉄の女が「裏切り者」と決めつけ除名したこともあった。今回の総選挙では、NLDの候補者に箝口令をしくなど、「鉄のコントロール」で選挙戦を戦った。
大勝利は喜ばしいが、本当の正念場はこれからだ。原理主義より柔軟性が大事だろう。彼女自身、憲法の規定で大統領になれないが、「私は大統領より上になる」と言う。その意気やよし。しかし、国防、治安面はもちろん、彼女が不得手と見られる経済面でも、国軍や旧軍人の政治家や経済人との協力は不可欠だ。ワンウーマンでなく、柔軟に頑張ってほしいと思う。
(元嘉悦大学教授)