靖国神社に参拝して
茶番劇の中国の内政干渉
秋の新内閣に公式参拝を期待
五輪も無事終了し、8月は戦没者慰霊の月である。15日、恒例行事となっている慰霊関係団体の慰霊祭に出席した。今年はコロナ禍、台風崩れの大雨という悪条件が重なったが、慰霊祭は少数の役員主体で、しめやかに行われた。まずは結構な運びと存じている。靖国神社自体は年々警備が厳重化し、機動隊配備、交通制限等、賑(にぎ)やかなことであった。一般参拝者は、このような状況でも結構多く、若い年代への移行が進んでいる様子がうかがえ嬉(うれ)しいことであった。
左翼系マスコミが扇動
報道陣は例によって、カメラの放列を引き、参集する国会議員を威圧するかの如(ごと)き意気込みである。安倍前総理はじめ議員連の参拝があったが、コロナ禍の状況下、一斉参拝は控え、尾辻会長以下の代表参拝となった。菅総理の参拝は無く、玉串料が奉納された旨、報道された。
例によって中国は「強烈な不満と断固たる反対」を発表、恒例の茶番劇を繰り返した。この国際的に無様(ぶざま)な茶番劇は、昭和60年以来35年も続いている。この典型的な内政干渉と言える暴挙が続いている根源は種々考えられる。
第一は外国を含む学者が述べている「中国は日本の指導層全体を叱責し、調教する。自国の要求を日本に受け入れさせるのが、長期的戦略である」とする見方。これはご尤(もっと)もな意見で反論するものではない。しかしよく考えてみると、はたして「長期的戦略」たり得るかという疑問が湧く。戦後70年を経て、国民の大半は、「先の戦争」は遠い歴史上の出来事で、中国が主張したい「歴史認識」も、風化が進むのは当然のことである。すなわち、長期戦略も古ぼけた目標になっていくことは、否めない流れであろう。
第二の根源は、我が国内の左翼系マスコミを筆頭とする反体制勢力の根深い活動にある。本件は、昭和60年までは特に問題もなく首相参拝が行われてきた。そして、中曽根首相の閣僚共々の公式参拝に、朝日新聞が歴史認識を振りかざして反対キャンペーンを挙げ、それまでこれといった反応の無かった中国が「これは使えるカード」として「日本指導者叱責・調教」の態度を露(あら)わにしたものである。この朝日新聞の売国的言動は今も激しく継続しており、とどまるところがない。
第三の根源は政治指導者の基本姿勢にある。明らかな内政干渉、叱咤(しった)的言動に、あまりにも弱腰である。特に首相たる者、堂々と民意を代表して公式参拝すべきである。この種の外交戦は、一歩引けば必ず次へ歩を進めてくるのが常識。国際的なスタンダードとして、参拝を常態化すべきである。
中国側から観(み)てみると、本件は中国が抱える国際的な課題の中では大した重要性はなく、この状態を続けてもさしたるメリットはなく、先進7カ国(G7)、クアッド(日米豪印)をはじめとする包囲網の強化に資するのみであろう。我が国政府が、公式参拝に踏み切っても、これを阻止する方策は限られている。むしろ、朝日をはじめとする日本のメディアに煽(あお)られ、引くに引けない状態を世界に露呈している哀れな状態に陥り始めているのではないかと推量する。
8月16日の朝日の論説を読んでみたが、これはまた、とんでもない噴飯ものである。曰(いわ)く「遺族、一般人の戦没者追悼は是認。閣僚、政治指導者の参拝は、戦前の歴史を正当化」というのであるから全く苦しいこじつけ論である。
こうして観ると、時の流れとともに、世情は新しい感覚、価値観の下、建設的な未来を求めて進んでいく。歴史認識を振りかざし続ける左翼系メディア、これに乗ってしまった中国、そして弱腰の政治指導層は、茶番劇から降りられない無様さに陥っている。秋の新内閣発足に際しては、新内閣はぜひ公式参拝に踏み切って、お互いに引くに引けない窮地に一石を投ずべきである。
高校野球利用する朝日
折から高校野球甲子園が盛りである。コロナ禍で無観客ではあるが、高校球児の素晴らしいプレーに心を動かされている。前々から気に入らないのは、この純粋であるべき高校野球が、朝日新聞の共催で、高々と同社の社旗が掲揚されていることである。スポーツましてや高校生の全国大会がこのような左翼メディアの広告に利用されるのは極めて不具合。文科省は高野連の独立を指導すべきだと考えている。
(すぎやま・しげる)