外交・安保の眼目、大統領選で検証を
専門家だけの政策決定は時代錯誤
大統領選挙で候補者の力量について、どれくらい丁寧に検証されるかが課題だが、その中の一つが国際政治に対する見識と眼目だ。しかし、大韓民国の大統領選挙で外交・安保イシューが票の決定力を持ったことはほとんどない。ところが、新しい大統領が誕生すれば、彼は外交・安保政策にほとんど絶対的な影響力を持つ。
この4年余り、文在寅(ムンジェイン)政権で南北、米朝、韓米、韓日関係の決定的瞬間は大部分、大統領府が主導した。行政官僚集団はこれを後押ししただけだ。
今度の大統領選挙でも外交・安保イシューは関心領域の外に置かれている。外交・安保問題が真剣な討論の争点に浮上することも多くない。
だが、どの候補、どの陣営が当選するかによって、韓国の外交は完全に逆の方向に流れるだろう。大きくない韓国の外交専門家グループでそれぞれの立場を代表する人物がある候補を支援するという話が聞こえるたびに、特に実感する。
大衆の関心から遠いところに“エリート”だけが残って、政策を独占する時、果たして正しい牽制(けんせい)と均衡の原理が働くのか。国益より陣営の利益を優先される時、政治エリートや官僚の独走が国民の常識から外れる時、これを牽制する力は結局世論の監視しかない。
外交・安保政策は相変わらずエリートたちの聖域に閉じ込められている。左右の外交・安保専門家たちが検証することもせずに、各陣営で一番支持率が高い特定候補に結集する現象は、選挙を勝ちぬけさえしたら、政策を主導できるという信頼があってのことだろう。疎通の跡は見えず、時間がたてばさらに彼らだけの領域になる。
公約に対する注目度も低い。前回の大統領選の例を挙げれば、当時共に民主党の大統領選挙公約集で12分野のうち9番目だった外交・安保分野の公約は大統領選挙後、国政企画諮問委で20の国政戦略のうち18~20番目に押しやられた。
政治的疎通が日常化された社会だ。大衆を外交に無知な存在と見て、専門家たちが彼らだけのリーグを作る外交政策の決定はすでに時代錯誤だ。大統領の力が肥大した大統領制で、国民の審判が作動する選挙を通じて存在感を表すことができなければ、牽制の力はいつどこで探すことができるだろうか。
国民の大統領になることを自任する候補が意識的にでも自身の外交・安保の信念と識見をもう少し積極的に明らかにして、各陣営が積極的にこれを支え、メディアが各候補の外交・安保政策をさらに問わなければならない。相変わらず強大国の利害が衝突し、分断されたままの韓半島で指導者の資質が重要なのは言うまでもないことだ。
(ホン・ジュヒョン外交安保部記者、8月10日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。
ポイント解説
外交は票にならないが…
韓国メディアはよく、「政権浮揚のため対韓外交を使う」といって日本を批判する。だが、日本の有権者の関心が外交にないことは各種世論調査でも明らかだ。選挙でも身の回りのこと、つまり経済、雇用、福祉、教育など内政に関心が向いている。外交で票を取ったり、支持率を上げるなどということは“空想”以外の何物でもない。対韓強硬姿勢を示したところで現に政権の支持率は上がったことがない。
任期末に反日政策で支持率を上げることを繰り返してきた韓国だから、日本もそうだと発想したのだろう。だが、その韓国にしても、実際には支持率上昇はわずかで、その効果も長持ちしない。だから対日政策や外交などが選挙の争点になることもほぼなかった。結局、日本も韓国も同じであることをこの記事は明らかにしている。外交・安保政策が大統領選では顧みられないのだ。
しかし、政権が代わることで外交政策の揺れ幅が大きい韓国では、国民の生活に及ぼす影響も大きい。分裂・対峙(たいじ)した朝鮮半島は周辺強大国の外交・安保の主戦場になりやすいからだ。韓国民は文在寅政権でそれを嫌というほど味わったはず。「従北親中」「反日離米」政策でどれほど厳しい状況に置かれたか。
にもかかわらず、有権者の関心は相変わらず「学歴、兵役、不動産」から出ない。国際情勢への認識や外交方針を問う声もほとんどない。だから外交はいつまでも一部「エリート」の手に握られることになる。彼らが大統領のアドバイザーになって、そもそも外交見識のない大統領を操るのだ。
各候補の外交・安保政策を問う。特にポスト文在寅では必要なことだ。青臭い記事だが正論である。
(岩崎 哲)