明快だったトランプ演説

ペマ・ギャルポ桐蔭横浜大学法学部教授 ペマ・ギャルポ

主権尊重し積極的外交
公平さと配慮欠く日本の報道

 昨年12月8日、民主国家として合法的に選出されたドナルド・トランプ氏が本年1月20日、正式に第45代アメリカ大統領に就任した。私は特にトランプ氏の支持者でもファンでもないが、世界の最も強い国の大統領として十分な関心を持って昨年以来見守ってきた。日本のメディアの報道の姿勢に対し、いささか公平さと配慮が足りないような印象を持った。

 第一に就任する前から彼の行いに対し、さまざまな評価をするのはいかがなものか。もし評価するのであれば彼が大統領の宣誓を行い、最高裁長官から「大統領、おめでとう」と言われた瞬間以後の言動に対し、評価なり批評をするのが妥当ではないか。日本のテレビや新聞などは彼の政策が不透明であるとか、彼の演説の英語が小学6年生程度の文法だというように、一国の大統領に対して配慮も遠慮も見られない。

 私は同大統領の演説は全てのアメリカ国民と、世界の人々に分かりやすく語っており、内容も極めて明快であるように思った。彼自身の「私たちは共にこれから先、何年にもわたるアメリカと世界の針路を決めていく」という言葉の中には、アメリカだけではなく世界に対しても自分の責任を十分に認識している発言に見える。また大統領として、直面する試練あるいは立ち向かわなければならない困難を乗り越えて、やるべきことを成し遂げるという強い意志も表していたように思う。

 政治家出身でない彼らしく、「きょうの式典にはとても特別な意味がある。なぜならば、私たちはきょう、単に一つの政権から別の政権に、あるいは一つの政党から別の政党に政権を移行しているのではなく、ワシントンから権力を移行させ、あなたたち国民に返還しているからなのだ」と強調。この言葉はまさに首都を中心としたエリート集団から政治を国民の手に移す決意を述べており、もしこれがオバマ氏やケネディ氏が言っていたら、リベラルの人々も褒めたたえていたのではないか。

 彼は国民中心的な運動に関し、「この運動の中心には国家は国民に奉仕するためにあるという極めて重要な信念がある。アメリカ人は子供たちが通う優れた学校、家族のための安全な地域、自らのための仕事を求めている」と述べた。この発言はまさに政治家としての本来しなければならないことを明確に語っているように見える。アメリカ合衆国の大統領としてアメリカファーストというのも、まさにアメリカの最高の責任者として当然のことであり、彼自身これを分かりやすく基本姿勢を次の言葉で表している。「私たちは二つの簡単な原則に従う。アメリカ製品を買い、アメリカ人を雇用するということだ」。これがまさに全ての国の政治家が自覚すべき任務ではないだろうか。

 彼の外交政策が明確でないとか、自己中心、アメリカファーストの姿勢に対しても批判はあるようだが、これは「各国が自国の利益を第一に置くのは当然の権利であるとの理解の上に立つ」という相互主権尊重も明確にしている。「私たちのやり方を他人に押し付けるのではなくむしろ皆が付いて来る模範として輝くよう努める。古い同盟を強化し新しい同盟も作る。そして文明化した世界を結束させてイスラム過激主義者のテロに対し、地球から完全に撲滅する」。この言葉は全ての国の主権を尊重し、アメリカの価値観を押し付けないという謙虚さと、一方、同盟国との関係を大切にし、強化する、また必要に応じては現実的な状況に対応し、新たな同盟国もつくるという積極的な外交を行う決意と方針を明確にしている。さらに文明化した世界すなわち自由と民主主義、法の支配を重んじる国々が、過激的な手段によるテロとは戦っていく決意も明確に表している。

 ポピュリズムという言葉の解釈がもし大衆迎合主義という意味であるとすれば、むしろオバマ政権やそれに類似した大衆迎合主義な指導者たちの下、社会の秩序が崩壊し始めている。こうした現状に対し、大統領は「『兄弟たちが一つになって住むことは、何という幸せ、何という楽しさだろう』と聖書は語っている。私たちは考えを率直に述べ、意見の違いについて正直に議論しなければいけない。その時も常に団結を求めなければならない」と語り、現在、無責任な権利の主張によって率直な表現の自由と社会の伝統や価値観を失いつつあることに対しても、素直な言葉で語り掛けている。アメリカなどでは当然かもしれないが、日本などでは公式の場から排除している「神」という言葉、あるいはそれに類似した言葉を5回も使っている。

 確かにアメリカは現段階においては世界に最も影響力のある国であり、その国の最高指導者の言動は私たちも深く関心を持って見守って行かなければならない。そして彼の行動に対しては当然必要に応じては批判することも必要であろう。日本のメディアはトランプ反対の行動について多く取り上げている。自由社会においてはそれも必要であるが、一方合法的かつ民主的に選ばれた元首に対して、暴徒のような黒装束の人々の行動を肯定するような姿勢は民主主義の根本に反するのではないだろうか。