米ユダヤ系人事介入の起源
トルーマン政権が原型
側近とユダヤ国家建設承認
今年、2015年は米トルーマン政権誕生70周年にあたる年だ。ルーズベルトの急死により副大統領から昇格したトルーマンに対しては、当初その力量を危ぶむ声も聞かれた。しかし、今日では彼が下した「ソ連封じ込め政策」はまことに時宜にかなったものであったと政治学者たちから高い評価を受けている。また、彼の政権期はユダヤ史の文脈から見ても注目に値する。
米大統領に対するユダヤ系側近による人事介入の原型が形成され、また政治資金源としてのユダヤ・マネーの重要性が認識され始めたからである。1948年9月、大統領選の終盤で窮地に追い込まれた民主党の現職トルーマンが起死回生の地方遊説に旅立とうとした矢先、10万㌦の遊説費用をユダヤ富豪フェインバーグが僅か2日で集めてしまい札束が詰まった旅行鞄を駅頭で手渡した一件は有名な逸話だ。「大統領が最も必要とした時、彼のために大金を即座に集めた」という事実は世に知れ渡り、「ユダヤ富豪こそ民主党内で最も頼りになる献金者」という言説が流布する契機となったわけだ。
この一件で発言力を強めたフェインバーグの存在はイスラエル側の知るところとなり、以後イスラエルの要人は通常の外交経路ではなく、直接、彼に意向を伝えることで目的を迅速に果たせるようになったのである。ユダヤ系の得意技「大統領府へのアクセス特権をカネの力で手に入れ、舞台裏で影響力を行使する」という政治手法はこの頃確立されたのだ。余談だが恩義を感じたイスラエル政府は同国内でのコカ・コーラの独占販売許可を与え、フェインバーグの労に報いたそうだ。
トルーマンは側近に幾人ものユダヤ系を登用した。有力なユダヤ社会と大統領府を結ぶ連絡係が欲しかったからだ。けれど連絡係たちは期待された役回りとは別に、シオニストの代弁者として大統領府を親イスラエルへ誘導し始めたのである。その一人、ナイルズにとり宿敵は米国務省であった。大統領府や連邦議員団と異なり、国務省はイスラエルに冷淡だったからだ。例えばパレスチナ紛争の解決策として、国務省はユダヤ人国家建設を認めず、国連による信託統治を求めていた程だ。建国によりアラブ産油国を怒らせ石油供給に支障をきたすことを恐れての判断だった。
選挙を戦う必要の無い国務省官僚たちは判断基準を米国内の政治ファクター(ユダヤ票、ユダヤ・マネー)ではなく、専ら国益に置いていたからである。そうした体質を持つ国務省が初代イスラエル大使にアラブ寄りの人物ノックスを任命しようと画策。それを聞きつけたナイルズは急遽(きゅうきょ)トルーマンに談判。持参した「相応しい候補者リスト」の中から大使を選ばせてしまった。更に国務省はアラブびいきの外交官ヘンダーソンをトルコ大使に予定していたが、これに難色を示し、赴任先を差し替えたのもナイルズ一派の差し金であった。
イスラエルの安全保障に占めるトルコの地政学上の役割を重んじるナイルズならではの判断だった。憤懣(ふんまん)やる方ないヘンダーソンはナイルズについて「国務省の一挙手一投足に待ち伏せ攻撃を仕掛けるため、大統領府の回廊に潜む陰謀家」と酷評した程だ。今日と比べ、未だ脆弱(ぜいじゃく)だったユダヤの政治力だが、大使人事を覆すぐらいの力量は既にあったわけだ。
もう一人のユダヤ系側近ローエンソールは1944年の大統領選でトルーマンが民主党の副大統領候補指名獲得を目指した時、民主党の主要支持基盤、労組の支持を取り付けることでトルーマンを助けた功労者だ。労働法の専門家で労組に顔の利くローエンソールが労働界の指導者たちにトルーマンこそ副大統領候補に相応しい人物だと認めさせたのだ。このローエンソールと前述のナイルズがトルーマンの中東政策に多大な影響力を行使したのである。
両者の働きかけについてはトルーマン自身がこう述べている。
「二人のユダヤ人がユダヤ国家建国支援を求め、あらゆる類の圧力を自分に行使してくる。…私がパレスチナ問題について彼らと話し合おうとする時はいつでもこの二人は突然泣き始めるのだ。それほど深く感情的に関与しているということだ。こうなると私はもうお手上げなのだ」
1948年5月14日、独立宣言を発したばかりのイスラエルに対し、トルーマンは間髪を入れず建国承認を行った。この時、前述の二人が果たした役割は大きかった。何しろトルーマンが演説した建国承認の声明文の文案自体、彼らが執筆したものだからである。
トルーマンの行動について国務省は「ユダヤ票、ユダヤ・マネー欲しさから」と酷評した。けれど「アメリカの国益にかなう」という理由もあったはずだ。中東におけるソ連の進出を妨げる「反共の防波堤」としての役回りをイスラエルに期待したという点だ。またトルーマン個人の宗教的信条も無視できぬ要素といえよう。素朴だが深い信仰心を持つバプテスト派の信徒、トルーマンはイスラエルという国が神の歴史計画の中で特別な位置にあると信じていた節がある。また何よりも彼はキリスト教シオニスト団体のメンバーでもあったのである。
(さとう・ただゆき)