孤影の中にあるパレスチナ
静まり返った国際社会
「アラブの大義」は政治の道具
米国のトランプ大統領が大統領選に臨むに当たり公約した項目の中に「エルサレムはイスラエルの首都であり、米国大使館もそこに置かれる」というエルサレム宣言が存在していたことは知られていたが、それが大統領就任1年を前に宣言されるとは誰も思わなかった。世界は国連を通してこの宣言を封印、この問題の当事者とも言えるパレスチナ自治政府も、問題解決者として仲介役を引き受けている米国の役目を拒否し、その怒りを表現した。
現地パレスチナでは連日死者を出すデモが発生。ガザからもロケット弾によるイスラエル攻撃も行われ、それに対するイスラエル空軍による反撃も行われ、シリア内戦が終了を前にして中東は再び紛争の中に置かれるのかとの懸念が拡大した。
しかし、昨年12月6日のトランプ演説から始まったエルサレム騒動は、日本人が考えるような“第5次中東戦争、石油危機再来”等の結末を見せず、ひと月過ぎた現在、中東には日本が懸念するような変化はない。パレスチナ過激派のハマスが民衆蜂起を呼び掛けたが、本拠地ガザ地域住民の支持を失いつつあるハマスの声は空しく消えた。
確かにトランプ大統領に対する怒りはパレスチナ全土に響き渡った。だが、アラブ世界ではトランプ大統領に対する批判は形式的と言える範囲内での反対として表現され、かつてのような反米、反イスラエルの声は、考えられたほどの広がりを見せなかった。その理由の一つとして上げられているのが、1995年米国議会で可決されたエルサレム首都、米大使館移転に関する法の執行を停止する書類にトランプ大統領が署名した、という報道がエルサレム宣言を前後して流されていたことだ。クリントン元大統領以降の歴代大統領が半年ごとに署名する慣例に従い、トランプ大統領も前任者同様、署名した後にエルサレム宣言をしたとの事実が、パレスチナに届いた結果であったかもしれない。
いずれにしても、それからふた月にならんとしている現在、現地パレスチナではいまだ興奮が残る状態にあるが、国際社会はトランプ大統領の暴挙を忘れたかのように静まり返っている。
だが、静まり返る世界の中で、パレスチナ問題に異常な関心を持っている国がある。日本は河野外務大臣をまだ怒りの火が燃え立つ中、イスラエル、パレスチナそしてヨルダンへ派遣、パレスチナに対する援助の提供と和平会議の東京開催を提案した。また日本のメディアも多くのページをこの問題に割き、パレスチナ問題に対する関心の高さを世界に示した。
これまでパレスチナに対する援助を欠かさず継続している国である日本にとって、パレスチナに対する関心はおのずから高くなることは当然のことであるが、パレスチナ問題に対する関心の高さが石油確保の保障となると考えているならば、日本の考えは見当違いも甚だしい。
かつてアラブの大義としてパレスチナ問題は表現された。石油を確保するために、アラブ政治の道具として同問題を扱った時代があった。現時点での日本のように、このアラブの大義たるパレスチナ問題に関心を示すことが重要な課題であるとして、アラブ諸国は世界に呼び掛けた。アラブから遠い位置にあり、アラブからの石油に生命を託していた日本は、石油不足が敗戦の道を歩ませたとの後悔から、未知なる世界の言葉を素直に受け入れた。また同時に、60年安保を機に反米機運が高まる中でパレスチナ問題は認識され、米・イスラエル悪魔論が定着し、アラブの大義は日本のアラブ観を形成した。
だが現実は異なった。パレスチナ問題は、英国が中東を去る時に残した砦(とりで)であり、中東が分割された結果生まれた国々が、国家統一のために国民の目を外に向けさせるための道具として設定された問題である。この結果、アラブの大国はパレスチナ問題の災いが身に降り掛からないようパレスチナ内に政治集団をつくり、外部からの操作を可能としてアラブの大義と成した。こうしてパレスチナ国家建設に携わる者は太り、民はその犠牲となった。
これまで4回にわたって戦われたイスラエルとの戦争も日本ではパレスチナ戦争と呼ばれているが、現実にパレスチナのために戦われた戦争はない。全てがアラブの大国のためにパレスチナ人が犠牲となった戦争であった。そして日本以外の世界はこのことを知っている。またパレスチナ人もそれを知っている。しかし日本が支援するパレスチナの民はそれに反抗する力はなく、この流れの中での生活しか選択の余地はない。
またイスラエルも東の山腹を越えて国を拡大することのみにより、国家安定を確保できるという建国時の課題を抱えている。英国の描いた図とはいえ、パレスチナ問題の根底には、英国によるイスラエル建国の裏に隠された戦略的意図があるように思える。それ故この問題の解決が難しい。そして日本以外の世界はこのことを常識的に知っていることが今の静寂を生み出している。
(あつみ・けんじ)