新たなIS生む混迷長期化

渥美 堅持東京国際大学名誉教授 渥美 堅持

なお硝煙消えぬシリア
若者がイスラーム再認識も

 今から約6年半前の2010年12月、チュニジアで起きた若いイスラーム教徒の焼死事件がきっかけとなって、後に“アラブの春”と言われる騒乱が起きた。生活の苦しさから死を選んだ青年の行動はイスラーム教徒の行動として信じ難いものであったが、その後に起きた騒乱が示したように国旗が導く流れとなってイスラーム世界を駆け抜けた。

 多くの人はこの動きを“アラブの民主化”とたたえたが、やがて状況が進むにつれ、中核を構成する政治集団も無ければ確たる思想も無いことが判明、一過性の台風のように大衆を騒乱の渦の中に巻き込み、やがて消えた。チュニジアでは曲がりなりにも制憲議会が誕生したが、若者の希望を現実化できる政権とはほど遠い政体であり、若者を落胆させた。

 一方、エジプトではイスラームという亡霊が登場、当然のことながら国家運営に行き詰まり、アッラーの衣の後ろに身を潜めた。そして登場してきたのが最も強い組織力を持つ軍であった。軍はこれまでのように軍ばかりか、一時崩壊しつつあった政治経済界の支配権を再構築し政局に当たることとなったが、結果は芳しくはない。

 国旗を手にして新たな国家をつくろうとして集団の行動は、老化現象を起こしていた政権を崩壊させ、多くの国民に時代の流れを感じさせたことを成果として、春を告げた天使は消え去った。しかしこの経験から学んだ若者たちの中から将来の指導者が生まれるという感激を国民に与えたことは間違いない。

 国旗の下の新たな動きは旧体制を表現していたイスラームの反発を招き、その結果、エジプトではムスリム同胞団の登場となったが、国民に能力の限界を見せつけて退いた。しかし全てのイスラーム世界がムスリム同胞団のように能力の限界を感じていたわけではなかった。特にイスラーム圏の一部若者たちの中には国家意識の先行現象を憂いイスラーム離れ現象を食い止める行動を起こすべきであると主張する声が民主主義を求める声と同じように響いた。こうして「イスラム国」(IS)浸透の雰囲気は民主主義を求める声と同様に形づけられていった。

 イラク戦争によるフセイン政権の崩壊と米国占領政策のまずさから、旧フセイン政権、バース党の構成員が新政権より追放されたことによりイラク国民の中には対立が発生、イラクを内紛に追いやり、イラクの国民は不安定な状況下での生活を余儀なくされた。特に若者たちにとって現状からの脱出は何よりも願うことであった。その戦乱の中でISが生まれた。そして建国の地としたのが占領したイラク石油資源を背景にユーフラテス河岸一帯であった。水と石油の支配はISにとって必要最低限の条件であった。

 11年3月18日、ダマスカスなどシリアの複数の都市で、民主化要求デモが発生した。南部デラアではアサド大統領の親族を要職から追放するよう要求するデモ隊に治安部隊が発砲した事件を皮切りにシリア動乱が開始された。この騒乱も民主化運動として報道されたが、現実には砂漠に住むアラブ族に対するバース党およびアサド政権のこれまでの政策に対する不満がチュニジアで始まった騒乱の刺激を受けてシリア政府に対する抗議、抵抗として現実化したものであり、チュニジア、エジプトのケースとは異なるものであった。

 シリアの騒乱は、敵味方の位置が明確に分かれており、内戦と判断される戦争である。それ故、負ければ歴史が終わり悲惨な結果が待っている。その戦歴が6年半の長期にわたって今なお硝煙が消えないのは、このことを証明して余りある。

 最近シリア政府はシリア国土の80%以上を解放したと発表したが、東はユーフラテス川、北はトルコ国境そして西はアラウィ、アンティ・レバノン山脈に囲まれたシリアの内部はそのほとんどが砂漠地帯であり人の住むことのできるオアシスが潜在している国であって、ISが占領を続けている居住可能なオアシスおよびユーフラテス河岸の町からの追放はいまだ終了していない。

 完全解放が長引けば現状に不満を抱くイスラーム教徒の若者たちがISに参加もしくは新たな集団をつくる可能性を大きくさせることになる。

 イスラームか、民主主義か。その選択は若者たちの手に握られている。その若者たちを混乱と絶望の中に追い込むような状況が長引けば、説得力を持つイスラームを再認識する者たちが多くなることは避けられない。幸いにISにはこのような若者を引き付ける神学論が存在していない。よって崩壊は目前にあるが、混迷の長期化は新たなISを誕生させる可能性をもたらすことになる。

(あつみ・けんじ)