同胞団の豹変、エジプト革命後に暴力化

ムスリム同胞団とアラブ モハメド・F・ファラハト氏に聞く(2)

イスラム国家建設の方法のほか、イスラム同胞団と聖戦主義グループの違いは。

モハメド・F・ファラハト氏

 多くの研究者や学者は、次のことをよく理解していない。それは、ムスリム同胞団(同胞団)も、聖戦主義グループも、イスラム団も、アルカイダも「イスラム国」(IS)も皆、現在の社会は信仰に反しているとみるが、ムスリム同胞団だけは、そのように見ながらも決してそのことを表立って言わずにいる、ということだ。つまり、同胞団を含む全過激派組織は、現在のイスラム社会も、アラブ社会もアラブ国家も全てが不信仰者だと考えているが、それを同胞団は決して公言しない。

 ここエジプトの学者やアラブ世界の学者の多くは、その差異を理解できなかった。同胞団はとても賢く、自らを穏健な社会的グループとして紹介する。イスラム教のグループだとも紹介しない。自分たちを社会的な団体だと主張する。自分たちがムスリム(イスラム教徒)のための共同体で、民主主義を受け入れ、議会に入り、政権とも一緒に働いていると言っている。

 これに対し、聖戦主義グループは政権との協力関係も、議会内部で働くことも拒否している。

 このように同胞団は、多くの人々に非常に賢く穏健派と思わせたが、1月革命(2011年1月のムバラク大統領辞任要求暴動で、同政権崩壊につながったエジプト革命)後、エジプト人の学者や社会は、同胞団の本当の姿を発見した。

 同胞団と暴力的グループとの間には、ただ表面上の差異があるだけで実質的な大きな差はないことが分かった。これはわれわれの問題でもあった。

 ムバラク政権が崩壊した後、多くの変化が同胞団内部で起こり、彼らは暴力を受け入れた。社会に対し、政権に対し、経済に対し、他の暴力的なグループ、すなわち、アルカイダやISと関係を持ち、暴力を用いたことがはっきりしてきた。同胞団は、暴力グループとシナイ半島やカイロ、他の県で協力し、リビアのグループとも連携し、エジプトで暴力事件を起こした。このことはとてもはっきりしており、よく知られていることだ。

自分たちの立場や暴力を正当化するために利用する、コーランの章や句は。

 私が思うに、コーランには、彼らの理論を正当化する多くの文章がある。

 過激主義者は、神の法、裁き、支配について話しているコーランの文章を、あたかも彼ら自身が神の代身であるかのように考え、誤解して読んでいるのだ。

そのコーランの句は。

 「言ってやるがいい。私は主からの明証の上に(立つ者で)あるが、あなた方はそれを虚偽であるとした。あなた方が急ぐこと(懲罰)は、私に出来ることではない。裁決はアッラーにだけ属する。かれは真実を説かれ、最も優れた裁決者であられる。」(家畜章57節)などだ。

 このような種類の章句は、放蕩(ほうとう)している人を指して戒めているのだが、聖戦主義者は権力者に重ねるのだ。

(カイロ・鈴木眞吉)