米・イスラエル、最悪の時代

佐藤 唯行獨協大学教授 佐藤 唯行

恫喝に屈したシナイ返還

ユダヤ人脈ない軍出身大統領

 イラン核合意をめぐり対立する米・イスラエル関係。けれど過去に遡れば、両国の関係には今日より遙かに危機的な局面が幾度も発生していたことが判るはずだ。最悪の事例はアイゼンハウアー政権期(1953―61)だ。追い詰められたイスラエルの当時の姿を知れば、今回の対立など「コップの中の嵐」にすぎぬことが理解できよう。何しろオバマはイスラエルに対し愛のムチをふるう厳しいボスであるだけでなく、不良息子、イスラエルに沢山の恩恵を与え続けた寛大な父親でもあったからである。

 その最たるものは米・イスラエル間の戦略的提携関係である。これをかつて無かったほど緊密なものに育てあげたのは他ならぬオバマだったのである。それでは「ドン底」とも言える米・イスラエル関係の姿をアイゼンハウアー政権期において検証してみよう。

 アイゼンハウアーが他の歴代大統領と異なる点は在米ユダヤ大富豪たちとの間に同盟関係を築こうとしなかった点にある。職業軍人出身のアイゼンハウアーはそれまでの人生の中で、ユダヤ・エリートから恩恵を受ける立場になかったという事実は重要だ。中世以来、長らく武装の権利を法的に奪われてきたユダヤ人。その結果、武芸鍛錬や尚武の気風を喪失してしまった彼らの間では職業軍人志望者は殆ど輩出されず、軍人は非ユダヤ的職種となってしまったのだ。

 従ってアイゼンハウアーの周囲には彼に感化を及ぼすほどのユダヤ人脈は存在しなかったのである。彼を大統領に当選させた1952年の選挙において、ユダヤ票の3分の2が民主党候補のスティーブンソンに投ぜられた事実も重要だ。選挙で恩義を受けた覚えのない、共和党のアイゼンハウアーとしてはユダヤ的利害に配慮を払う必要はなかったわけである。また、第2次大戦を勝利に導いた国民的英雄としての名声は絶大で、ユダヤ社会にすり寄る必要がなかった点も見逃せない。こうした背景を持つ彼は「もし自分が1948年時点で米大統領だったら、イスラエル建国を支持したかどうかは甚だ疑わしい」と述べている。

 アイゼンハウアーを凌駕する冷淡ぶりを示したのが、彼の国務長官、米外交の舵取り役、ダレスであった。ダレスは53年5月、アラブ世界に向けて以下の声明を発した。「トルーマン前政権はユダヤ人の影響力に支配されていたと思われます。しかし、現政権は違います。アイゼンハウアー大統領はアラブ民族とアラブ諸国に対し、非常に大きな配慮を示しております」。この声明の狙いは中東におけるソ連の影響力拡大を阻止するためにアラブ諸国を手なずけようとした点にある。前政権がイスラエルをえこひいきしすぎたから、それに反発したアラブ諸国がソ連になびき始めたとダレスは現状を解釈したのだ。ダレスの眼中にはイスラエルは飽くまで、厄介者と映っていたのだ。

 ダレスの対イスラエル基本政策は次の三つに要約できる。第一は「武器を供与しない」だ。これに失望したイスラエルは自国防衛に必要な武器供与をフランスに求め、核開発もフランスの援助で完成させたのだ。第二は「武器購入に必要な金を与えない」、第三は「安全保障上の保証を与えない」という厳しい内容であった。ダレスはイスラエルに対し、特別扱いはやめ、中東の他の国々と同じ扱いをするという思い切った方針を打ち出したのである。

 一層酷薄だったのが米国務次官(中東担当)、ベイロードだった。イスラエルのあるべき国家像は「ユダヤ人国家」ではなく「普通の国」であると発言し物議をかもしたのだ。「ユダヤ人国家としての性格を放棄せよ」と迫るベイロード発言はイスラエルを全世界のユダヤ人の本拠とみなすシオニスト系ユダヤ人にとり、決して容認できぬものであった。締めつけは言葉に留まらなかった。第2次中東戦争に勝利したイスラエルが折角占領したシナイ半島をエジプトに返還するよう、アイゼンハウアー政権は横槍を入れてきたのだ。

 従わぬ場合は米政府が毎年与える経済援助の停止のみならず、国連を通じての対イスラエル経済制裁を実施すると脅しをかけてきたのだ。当時、米共和党政権とイスラエルを結ぶ政治的経路は脆弱で、アイゼンハウアー政権に対し、中東政策の軌道修正を求める働きかけは失敗に終わったのだ。

 結局、イスラエルは煮え湯を飲まされる形でアイゼンハウアー政権の恫喝に屈し、1957年3月、占領地からの撤退に同意したのである。しかし、この時の政治的敗北を教訓に、イスラエル政府はアメリカとの関係改善に力を入れ始めたのだ。その第一歩は米軍との軍事情報の共有化に基づく協力関係の構築だ。具体的には第2次中東戦争でエジプト軍から捕獲した大量のソ連製兵器を米軍に引き渡し、ソ連の軍事技術へのアクセスを許したことだ。

 また、既存の在米ユダヤ諸団体は自らをより強力な圧力団体へと変身させるために合併・統合を図ったのだ。今日馴染み深いユダヤ・ロビーの横綱・大関クラスの出発点は、この頃の合併・統合にあったのである。

(さとう・ただゆき)