中東を破壊するイラク情勢
アメリカン・エンタープライズ政策研究所客員研究員 加瀬 みき
放置できないISIS
宗派戦争に拡大する可能性
イラクの状況が急激に悪化している。アルカイダの一部も避けるほど過激な武装組織「イラクとシリアのイスラム国家(ISIS)」が急激に勢いを増し、バグダッドに迫る勢いである。イラクが一つの国家として存在し続けるか、分裂するか、そしてISISがイラクからシリア、さらに目標通りレバント全域(イスラエルからパレスチナ、ヨルダン、レバノン、シリア、イラクを含む)でも支配的勢力となるかは、イラクとシリアばかりでなく中東全体の地図を塗り替え、地政学を大きく変える可能性がある。アメリカや西側民主主義諸国にとっては、非常に危険な事態となっている。
ISISはスンニ派で元は「イラクにおけるアルカイダ」であるが、その一派がシリアに入りISISとなり、人数も勢力も大きく、過激になってイラクに舞い戻ってきた。一方、イラク首相マリキ氏はシーア派であり、イランと近い関係にある。マリキ首相はこれまではアメリカを避け、米軍の早期撤退を求め地位協定にも調印しなかった。しかし、ISISの脅威にさらされ、アメリカの支援を求めている。
オバマ大統領は、イラク政府に対し全ての宗派を平等に扱い、協力してイラク軍が過激派に立ち向かうことを求め、支援策として軍事アドバイザーを送ると発表した。CIAの臨時長官も務めたマイケル・モレル氏は、今後のシナリオを三つ描く。一つ目は、もしアメリカによる介入がなければ統一イラクは消え、シーア派、スンニ派、クルド族という3地域に分断されると分析する。その場合、宗派間の軍事衝突が続き、民間人が殺戮(さつりく)される。また、イラク内にクルド国家が生まれれば、トルコやシリアなどのクルド族もそこに加わり、大クルド国家を作ろうとする。当然トルコがこれを許すことはなく、トルコとクルドの戦争となる。
二つ目のシナリオは、イランが正規軍、エリート・クッズ部隊、民間武装兵を活用して全面介入し、ISISを負かす。イラクにはシーア派が主導する傀儡(かいらい)政権が樹立されることになる。一方、シリアからはISISが排除されるが、アサド政権は健全なままとなる。
三つ目のシナリオは、アメリカの支援のもと、新たな全宗派を取り込んだ民主主義的国家を再建することである。そのためには、ISISの脅威におののくまでアメリカを拒絶してきたマリキ首相ばかりでなく、スンニ派、特に穏健なスンニ派、そしてクルド族も統一安定国家という目的のために協力するよう、アメリカが強い圧力を加える必要がある。
アメリカにとっては当然第三のシナリオが一番好ましい。しかし、これを達成するのは非常に困難である。イラク内のシーア派はISISと戦うであろうが、スンニ派はマリキ首相が次第に独裁政治を強行し、スンニ派を差別したことから、ISISの攻撃をマリキ首相への復讐(ふくしゅう)として歓迎する向きがある。また、ISISの裏には資金や武装を支援するサウジアラビアをはじめ湾岸スンニ派諸国がある。こうした国々の政治指導者たちが公にISISを支援しているわけではないが、ビン・ラーデンの教えに未だに従う人々や金持ちの実業家などがジハードに大金をつぎ込んでいる。
第三シナリオ達成のためには、さらにマリキ首相と非常に近い同じシーア派のイランの協力も必要である。イランとアメリカにはISIS打倒という共通の目的はある。しかし、イランがISISを打倒すれば、第二のシナリオになる。そうなるとアメリカにとって都合が悪いばかりでない。サウジアラビアなどの湾岸スンニ諸国がこれを黙って眺めるはずはなく、シーア派とスンニ派の宗派間戦争が本格化する恐れがある。
しかし、イランが介入せず、イラクが統一国家としてISISに立ち向かえなければ、ISISが勢力範囲をさらに拡大し、広く中東が西側諸国を攻撃する基地となる。
またISISがレバント全域でなくシリアとイラクの一部を支配しても、またトルコとクルドの戦いが起こっても、いずれもこれまでの国境が消えることになる。第1次大戦後に英国が描いた中東の地図が塗り替えられることになる。
アメリカが新たなイラクを再生できる可能性はあまり高くないが、オバマ大統領の発表からも、統一イラク、より民主主義的なイラクを支援するのが方針であるのは間違いない。イラク内の関係者への政治的圧力、イランとの駆け引きが必至だが、軍事的支援も迫られる。イラクは空爆を望んでいるようであるが、そのためには、地上から詳細な諜報(ちょうほう)が必要である。民間人が少数でも犠牲になれば、ISISのプロパガンダに使われるだけである。オバマ大統領が発表したアドバイザーは、イラク軍の指導だけでなく、情報収集も行うのが目的であろう。
モレル氏も述べるように、アメリカや西側諸国にとって一番望ましい第三のシナリオが一番達成が困難である。しかし、それ以外の状況が生まれた場合の地域全域に及ぶ戦闘や混乱、そこから広がる西側への脅威を考えれば、再生イラクを目指しアメリカは全力投球せざるをえない。
(かせ・みき)