令和時代到来と安倍首相の思惑
日本の右傾化・軍事大国化を警戒
徳仁新日王(天皇)即位とともに日本で令和時代が始まった。年号は東アジアの君主制において臣民の空間だけでなく時間まで支配しようとする制度的装置で、現代の民主共和国の国民としてはぎこちないことこの上ない。
日本では歴史の一つの章が移って新時代の幕が上がるという点で国運一新を期待する雰囲気が高まっている。韓国でも新日王が平和守護に対する父親の観点を共有するという点で安倍晋三首相に代表される改憲勢力の無限暴走を牽制(けんせい)することを願う気流がある。
日王が日本国民の精神的支柱という点で平和守護者としての立場が重要でないとはいえない。だが同時に政治的役割が制限された日王の限界を冷徹にバランスよく認識しなければならない。
日本の平和憲法は象徴日王制を採用している。憲法は日王に対して、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」としながら、「国事に関するすべての行為は内閣の助言と承認が必要」だと規定する。日王は思いのままに1円も使えず、国事に関して一言も言えない存在である。
明仁上王(上皇)退位式や日王即位式で日本軍慰安婦問題など過去の歴史や護憲に対する発言が出てくることを願う心が韓国内にあったようだ。退位や即位の所感内容も、憲法により内閣で承認されたという点を知っている者は多くないようである。
韓国軽視が外交政策の基本であり、右翼史観が支配的な現政権で国事行為と関連した日王発言で過去の歴史への謝罪内容が出てくることはほとんど不可能だ。
昨今の状況で孟子が論じた「王道と覇道」を見てみたい。高潔な天子の理想的な徳化型政治を王道、権力者である覇者の仁義軽視と武力・権謀術数型政治を覇道と呼ぶ。過去、古代中国の天子と実力者の群雄諸侯、明治維新以前の日本の神聖な存在である天皇と武力執権者の将軍を、大まかにではあるがこのような概念で理解できるのではないか。
王道と覇道が現代の日本で再現されているようだ。日王は高貴な平和を語り、“将軍”安倍首相は改憲論を前面に出して国民を幻惑する。問題はいつも覇者が力を持っているという冷酷な現実だ。
安倍首相はモデル国家であった昭和時代に続く過渡期の平成時代を締めくくって、戦後世代が主導する令和時代に世界的な政治軍事大国として浮上することを夢見ている。自衛隊の存在根拠を整えるよう憲法を改正し、周辺国の脅威を強調して武力を強化しながら、ロシアと平和条約を締結し、戦後体制から完全に脱皮しようとするのは準備過程だ。
日本政府がいくら美辞麗句で包装しても年号に命令を意味する「令」と、日本という意味もある「和」を選んだことは尋常でない。日本では「安倍の次は安倍」という話が出回っている。任期により2021年9月に退任しても同じ人物が継承するという意味だ。
日本の右傾化・軍事大国化は滔々(とうとう)とした流れだ。令和時代、安倍首相をはじめとする将軍が日本にどんな令を下ろすのか警戒しなければならない。
(金青中(キムチョンジュン)東京特派員、5月1日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。
ポイント解説
天皇の政治的な限界を指摘
相変わらず天皇を日王と呼ぶ韓国紙だが、天皇の政治的役割の限界を伝えている点でこれまでの報道に比べて若干進歩した。いくら天皇に日韓史や憲法について韓国の耳に心地よい発言を期待しても、それは憲法の制約上難しい、ということをはっきりと説明している。
ということはつまり、これまで天皇の国事行為に内閣の助言と承認が必要だということを韓国メディアは伝えてこなかったわけだ。だから天皇に政府へとは異なる“政治的”期待を寄せていたわけで、故意か無知かは知らないが、韓国民を誤導した責任は韓国メディアにある。
天皇を平和主義者に描き、安倍首相を覇王に仕立てたこの記事はいかにも韓国らしい。皇室を戴(いただ)き御代替わりを寿(ことほ)ぐ日本への羨望(せんぼう)を隠しつつ、徳で治める王道と、武力権謀で統制する覇道に分けてみることで、韓国人は落ち着くのである。「他国を侵略したことがなく、道徳的に正しい」と自らを信じる韓国に対して「軍事大国、政治大国化する日本」という構図は韓国人の思考にすっぽりと収まるのだ。ただし今の韓国文在寅政権が王道を体現しているかといえば全く違う。そこがまた韓国民の悔しいところだろう。
(岩崎 哲)