安保不感症が重症な大韓民国
朝鮮の前轍踏まぬ保証なし
国家危機の前で三つの国が思い出される。新羅と朝鮮(李朝)、そして大韓民国だ。これらの中で、最も堅固な国は国土と人口で最も小さかった新羅だった。三国統一の大業はそのような堅固な安保の上で可能だった。
唐の皇帝は百済を滅亡させて帰国した蘇定方将軍に、「ついでになぜ新羅まで征伐しなかったか」と叱責した。蘇定方は「国は例え小さくとも君臣が一つになって、むやみに攻められませんでした」と答えた。
新羅人は愛国心でみな固く団結していた。唐は韓半島全部をのみ込もうとしたが新羅軍の愛国魂に恐れをなして大陸に引き揚げて行った。
ほぼ千年後に登場した朝鮮は支配層から平民に至るまで安保意識が麻痺(まひ)した国であった。日本の侵略脅威が色濃くなると、朝廷はあたふたと城郭を補修し武器の手入れを指示した。ある貴族が左議政・柳成龍(ユソンリョン)を詰問した。「敵が川を渡れないのに、あえて川辺の城を補修する必要があるのか」と。柳成龍は地を打って嘆いた。「海を渡る外敵がそれしきの川一つ渡れないだろうか」。朝鮮の安保思想はこうした水準だった。
しかし、われわれには惰弱な朝鮮を批判する資格は欠片もない。いま大韓民国の安保不感症はもっと重症だからだ。朝鮮の安保意識が緩むのに掛かった時間は建国後200年だったが、大韓民国はせいぜい60年余だ。朝鮮と違って国土は半分で休戦状態、北側の狂暴な政権は核とミサイル挑発で南の首根っこを抑えている。こうした崖っぷちの危機にありながら、国民はみな天下泰平だ。
サード配備は賛成が反対よりはるかに多い。しかし配備場所の慶北星州だけは唯一反対が圧倒的だ。「自分の裏庭はダメ」という忌避現象だ。
安保施設をめぐって大統領選候補は政治的に利用し、住民は利害計算をする。国益を先に考える“新羅の精神”よりは私益を前面に出す“朝鮮の精神”が羽を伸ばしている。
国家安保は土地と人口で守られるのではない。新羅のように小さい国も“大きい安保”を持つことができ、大国でも“小さい安保”で崩れる。
世界最強の米国だけを信じて安保を軽視する大韓民国が前轍を踏まないという保証はない。戦争の確率は極めて低いが、備えなければ、後になって途方もない請求書となって返ってくる。安保には絶対無料はない。
(裵然國(ペヨングク)論説室長、4月29日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。