敢えて“蔑視”で問う“無能” 月刊朝鮮に陸奥宗光「蹇蹇録」

困難な韓国の外交情勢

 現在、韓国では日本政府の対韓政策に対する危機意識が高まっている。安倍晋三首相と朴槿恵(パククネ)大統領との間で、就任以来1度も首脳会談が開かれないという異常事態が続いているのを受け、与党内に「対日対策班」を設置する動きまで出てきている。

 朴大統領は「既に解決済み」となっている「慰安婦問題」や歴史認識問題、竹島問題などで対日強硬姿勢を変えていない。事態が動かないと見た安倍政府は、首脳会談は呼び掛けるものの、当面、放置し、対韓関係改善を後回しにする姿勢が露骨に出ている。

 日韓双方の政界、メディアではこの異常事態の継続に危機意識を募らせ、官民でさまざまな動きが出ているが、どれも決定的なものとはなっていない。

 こうした日韓の外交的危機は過去にも事例があり、日韓併合(1910年)に至る歯車が動き出した120年前の日清戦争(1894~95年)をもう一度検証してみようという動きも出ている。

 特に、当時、外相を務めた陸奥宗光の外交記録「蹇蹇(けんけん)録」が注目されている。月刊朝鮮(3月号)で”振榮(ペジニョン)記者が、「回顧録を通じてみる韓半島の昨今」の記事を書いている。

 日清戦争は朝鮮が清国の支配下から脱し、近代化に踏み出すきっかけとなったが、当時、改革は進まず、外交的にも清、ロシア、日本のいずれに頼るのか不明な迷走を続けていた。この事態を陸奥はどう見ていたのだろうか。韓国人ならずとも関心が向く。

 陸奥には一言でいって「朝鮮への蔑視」しかなかった。

 「積弊を除去できず、内乱が続き、自主独立の基礎が瓦解し、その害を隣国に及ぼし、東洋全体の平和を破る心配がある」

 「無智蒙昧な役人しかいない朝鮮政府は乱世に対処する定見がなく、日本政府が助けようにも、どこから手を付けていいか分からない形勢であった」

 「日韓攻守同盟の条約を締結する必要は、本来独立国として世界列強の間で、その位置を定立させることが分からない朝鮮政府のためだった」

 「朝鮮人の特長といえる妬み深い邪悪さと陰険な手段を憚らない悪徳性は、彼らみなをして、しばしばどん底に陥らせる契機となり、相互間の怨恨は日が進むにつれて大きくなり、到底一致協同して国家の大事に邁進するのは期待できない」

 これらの言葉を聞いて”振榮記者は、「顔がかっと火照り、肉が震える」と書いている。立場を換えてみれば、当然の反応だ。「日本帝国主義者の歪んだ偏見」と反論したくなる。

 しかし、”振榮記者はそれをグッと飲み込む。続けて、「われわれは知っている。百余年前の朝鮮の為政者は真に無能だったし、無知だったという事実を。それで結局、力なく国を失ってしまったという事実を」と言葉を絞り出す。

 「いま彼らが目の前にいたら、襟首を掴んで身体を揺すぶって、泣き叫びながら問い質したい。『何を考え、どうやったら、隣国の外務大臣からこのように蔑視されることになったのか?』と」

 こんな思いがちょっとした切っ掛けで吹き出してくるのが、現代の韓国人だ。変化したことと言えば、一方的に日本の非道を追及するだけだったのが、自らの政府の不甲斐なさを嘆き、どうすれば、克服できるかを考えるようになったことだ。

 韓国は現在、対日外交よりももっと大きな外交課題を抱えている。中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)への参加をぎりぎりになって決めた。これは日米が主導するアジア開発銀行(ADB)への対抗金融機関として、“経済戦争”を仕掛けてきた中国側についたことを意味する。

 その一方で、米国が求めているサード(THAAD=終末高高度防衛)ミサイル配備をめぐって、中国から強い牽制(けんせい)を受けており、態度を決めかねている。

 韓国は陸奥の回顧録からヒントを導き出せるのだろうか。

 編集委員 岩崎 哲