江戸時代の旺盛な知識欲 日本で読まれた李朝「懲毖録」

東郷平八郎ら李舜臣評価に

 「韓国外交がおかしい」という言葉をよく聞く。米国と中国という2大国の間で「あいまい外交」を展開しているというのだが、結局それは、安全保障は米国との同盟に依存し、経済は中国に頼るという「二股外交」であり、両者の顔色を伺いながらの綱渡りとならざるを得ない。

 当然、こうした態度に米国は不信感を募らせ、一方、中国は米韓同盟に楔(くさび)を打ち込むべく相当な揺さぶりをかけている。「クジラの争いに翻弄されるエビ」に例えられる所以(ゆえん)だ。

 韓国・朝鮮の歴史の中で国家的危機に直面した外交戦がいくつかあった。壬辰倭乱・丁酉倭乱(文禄・慶長の役、1592~98年)がその一つで、現在の韓国外交への不安からか、これらを扱った映画やテレビドラマに注目が集まっている。

 昨年公開された映画『鳴梁』は文禄・慶長の役で活躍した名将・李舜臣(イスンシン)を描いて大ヒットした。今年になってからは、KBSの時代劇「懲毖録」が好評を博している。

 朝鮮日報社が出す総合月刊誌「月刊朝鮮」(4月号)で金時徳(キムシドク)ソウル大奎章閣韓国学研究院教授が「韓日中がみた懲毖録」の原稿を寄せている。ちなみに「奎章閣」とは、李朝の王立図書資料館である。

 「懲毖録」は李朝の宰相だった柳成龍(リュソンニョン)が文禄・慶長の役について書いた記録だ。この中で柳成龍は、「乱を克服する上で明国の助けと李舜臣はじめ朝鮮の官民の活躍が勝利の二大要因」だったと強調している。

 これまでは、映画『鳴梁』のように李舜臣だけが英雄として描かれ、明の役割を過小評価する傾向が強かった。これについて、金時徳教授は、「旧韓末以後に形成された民族主義史観の所産だ」と指摘している。

 ここにきて、明の役割を評価する動きが出てきているのは、海洋勢力(日米)によってもたらされる国難に当って大陸勢力(中国)が頼りになることを想起させているため、と捉えるのは穿(うが)ちすぎだろうか。

 金時徳教授の原稿で面白いのは、懲毖録が日本で広く読まれていたことを紹介している点である。江戸時代を金教授は、「世界文化史で高く評価される近世日本の知的ルネサンス期に、出版人は日本古典のほか、中朝蘭(オランダ)などの外国文献を隔てなく商品として販売し、知識欲の高い日本読者に提供した」と紹介している。

 当時、朝鮮で文字が読めたのは知識人や貴族だけで、知識は彼らに独占されていたのに対して、日本では庶民までが「読み書きそろばん」ができ、外の情報にも高い知的関心を持っていた。この差が明治維新と近代化を成功させたか、亡国の憂き目にあったかを分けたといっても過言ではない。

 ただし、金教授は、日本人が李舜臣を評価する視点は朝鮮とは異なる、とも言っている。つまり、単純に海将としての彼を評価しているのではなく、豊臣軍が戦った相手がどれほど優れていたか、相手が優れていればいるほど、それと戦った豊臣軍は「一層光る」から、というものだ。

 時代は下るが、日露戦争でロシアのバルチック艦隊を打ち破った海軍大将・東郷平八郎が「李舜臣を尊敬している」としていた。軍神と言われた英海軍のネルソン提督に例えられた東郷は、「李舜臣こそ軍神と呼ぶべきもので、自分は一介の下士官に過ぎない」と答えている。

 豊臣軍では金教授指摘のような“持ち上げ方”があっただろうが、後の時代、懲毖録などを通じて知られた李将軍への評価は真っ直ぐなものだったと見るべきだろう。

 江戸時代に通信使として訪日した申維翰(シンユハン)は『海遊録』で、「金誠一(キムソンイル)の『海槎録』と、柳成龍の『懲毖録』、姜”(カンハン)の『看羊録』のような本は国の機密に属することが多く、これがみな大阪で出版されている。国の規律が緩く、朝鮮官僚が売り払ったのは情けない」と書いているが、当時にして、既に情報力の差が開いていたことを示すものだ。

 編集委員 岩崎 哲